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 2008年(平成20年)3月に岐阜・中津川に帰ってきて、早くも復帰2度目の転職となったのが5月の連休明け。
 一つの会社の専属事務職は初めてで、税理士事務所勤務経験があるとはいえ、ちゃんと勤まるかなあ??と思いながら緊張の続く日々が始まりました。
 今回は勤務が朝8時から17時。残業は殆ど無し(ごくたまに会議だったり書類作成などで1時間程度残ることはありました)。土日祝日は休み。(これは後からですが)有休も完全消化。もう、超絶ホワイトでした。ただし給料はそれなり。だけど奄美にいたときのことを思えば十分生活できる額でした(奄美は一番最高で17万くらいだった)。
 そんなわけで、社会人となって10年以上来、一番時間に余裕のできる「幸福な生活」がはじまりました。もちろん学生のときのほうが時間はあったけど、お金とのバランスで行けば、この2008年~2011年の期間がもっともラクな生活でありました。

 職場は中津川市の市街地、間借りしているツマ実家はそこから40km近く離れた旧恵那郡加子母村(2005年に中津川市に合併)。
 朝6時に起きて支度をととのえ、7時に家を出ます。7時40分くらいに会社に到着して始業。
 そして夕方17時になり、だいたい5分かそこら経過するところで退勤します。帰りのほうが車が多くて一時的に渋滞しますが、それでも18時前には帰宅します。
 ツマが当時下呂市の職場で昼夜勤務だったので、食事は義母と私の2人でとります(義父はやはり下呂市で昼夜勤。僕以外働きアリの家だった)。家の手伝いとかも何もせず、夜もやりたい放題でした。21時くらいにはツマも帰ってきて、22時半ごろにどちらも寝る、という毎日でした。


ど田舎をポスターにする・その1

 休みの日も全く手伝いをせず、地区の清掃や行事ももちろん不参加で、あの居候は一体なんなんだと村でもウワサになっていたはずです。今になって思えばしまったなと反省はしますが、当時はどこ吹く風というか、まったく気にも留めていませんでした。
 仕事を始めて最初の頃は経済的にも余裕は無く、休みの日もせいぜい中津川や下呂などに行くか、家でグダグダと本やマンガ、インターネットにうつつを抜かす程度の過ごし方でした。
 日曜日など、ツマが日中仕事でいないときは「これで昼飯でも食え」と1,000円渡されていました。その1,000円と、いくらか自分の手持ちで、近所のスーパー(車で15分かかる)でパック寿司とビールを買って、日曜の午後を過ごすのが楽しみでした。「千円パーティー」と僕は呼んでいましたが、当時オジサンたちの中で流行った「センベロ(立ち飲み屋などで1,000円でベロベロになる)」に感覚は似てるかなと思ったりします。

 先に書いたとおり、僕は村の衆がどう思おうと気にしなかったので、近所をよくほっつき歩きました。出身者であるツマは少しは目を気にしていたようですが、僕にとってはこの田舎暮らしをとても気に入っていて、花とみどり、川の流れにある様々な色を探して昼も夜も散策しました。


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 やがて仕事も軌道に乗り始め、お金が手元に残るようになると、中津川市よりも外の町にも遊びにいくようになります。それはまた別の機会に思い出すことにしますが、それでも家で休みを過ごすときには、歩くことを楽しんでいました。ゴルフやパチンコに行くとかそういう遊びをしなかったのがいいのかどうかはともかく、自分なりの時間の過ごし方ができたのは、それまでの不安定な精神状態をずいぶんと落ち着かせてくれたんじゃないかな、と思っています。


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by OuiOui1974 | 2018-04-21 18:12 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)
暮れの春


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加子母


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福岡町


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2008年5月31日


 中津川市(加子母・付知・福岡)と、下呂市宮地の写真です。すべて2008年(平成20年)3月~5月より。
 今住んでいる飯田よりもずっと田舎で、それでも花やみどりがいっぱいで、とても気に入っていました。

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by OuiOui1974 | 2018-04-04 20:20 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)
 岐阜・中津川のツマ実家に居候するようになったのが2008年(平成20年)の2月末。その当時は、あくまでも仮住まいのつもりで、ある程度経ったらまた別の場所に移るつもりでした。
 その頃は、なんとなく長野の駒ヶ根を思い浮かべていてあれはなんだったんだろうと思うのですが、結局今こうやって同じ南信地域の飯田に住んでいるあたり、おぼろげに真剣(?)だったのでしょう。


 さて、中津川にきて、どちらにしろとりあえず仕事、ということでハローワークの情報なども見ていたわけですが、「まずは以前もやっていた工場の仕事なんかはどうか」と家族に言われ、その3年前にお世話になった派遣会社に紹介してもらい、機械組立の仕事(期間工)をやることにしました。
 平日の朝勤(6:00~14:45)、夜勤(14:45~23:30)の週交代制。自動車のカーナビを組み立てる工程で、何か貼ったり取り付けたりをしていたはずです。それをひたすら繰り返す。正味7時間くらいだったか。
 前の職場では半導体のテスト作業をやっていて、あれはテストの種類がたくさんで時間に追われることが多く、けっこうしんどかったけど最後のほうはそれほど嫌々ではなく仕事できていました。
 それに比べて、このカーナビの職場はやることが限られていてしかも作業スペースが畳1枚くらいしかなくて、とても窮屈でした。もともと集中力が持続せず、ウッカリが多い人間なので、何度聞いてもミスするし、さして年齢も変わらない先輩からど叱られるしで、入って数日でやる気が目減りしていきました。
 休憩の食堂もグループで固まっていて(ベテラン組とか、外人組とか)別に一人飯は嫌でもないけど、談笑する集団に囲まれて静かにするのはかなりきつかったです。

 入って10日目の夜勤、一工程を飛ばすミスをして例のごとく上長に問い詰められ、うまく言い訳できないとさらに糾弾されて、ああ、こりゃもう無理だなと思い、休憩中にツマにメールで「ごめん無理」と伝え、なんとかその日は勤務終了まで居座りましたが翌日朝、派遣会社の担当に「嫌なんで辞めます、もう行きません」と言って辞めさせてもらいました。
 派遣の担当さんにはその数日前に「ちょっとついていけない」と相談したことがありました。今回やっぱり辞めると伝えて「お前ふざけんなよ」とか言われるかと思いましたが、慰留されつつも色々宥めてくれて、最後まで誠意を感じる対応をしてくれて、工場は最悪でしたが派遣にはそういう気持ちも持たずに辞めることができました。

 自分に合う仕事かどうかはやってみないと(そして続けてみないと)分かりません。今回だって職種は違えど工場勤務は経験があって、なんだかんだ言いながらもできるだろうと思っていました。仕事に自分を合わせることも肝心だと今でも思いますが、この組立仕事ばかりは例外でした。なお、この工場は2008年冬期以降、不況の影響で派遣・請負社員の雇用を打ち切ったそうで、どちらにしても僕があの工場で生き残る術はなかったはずです。
 販売、配達、講師、事務、そして工場と、社会に出て10数年の間に様々な仕事を経験して全て失敗し、もうどうしようかと思ってしまいました。次の仕事、あるのかな、と。ただそんな僕にもツマ実家の人々は「まあ、焦らなくてもまた仕事を探せばいい」と言ってくれて、本来なら「早く飯代払えボンクラ居候が」と思うだろうに、とりあえず引き続き食事を出して寝床を使わせてくれて、感謝するほかありませんでした。

 実は僕自身、退職の焦りよりは苦痛な仕事から避けられてホッとしていて、そんなに落ち込まずに済みましたが、記録によると退職を届けた当日にハローワークに出かけ、求職票をもらい応募しています。十分焦っていますね。結局その応募した設備業の会社に入社することになりました。工場を4月23日に退職して、5月の連休明けに転職したので、今回は無職期間が半月程度で(僕の中では)短いほうでした。

 心身のバランスを崩して2003年から2008年春(ほとんど奄美大島移住期間)不安定な暮らしをしていましたが、このころようやく長いトンネルの終りが見え始めてきた、という感じでした。
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 これはその工場勤務2日目くらいに、駐車場へ戻る道にあった桜(当時の携帯の画像が残ってた)。


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by OuiOui1974 | 2018-03-27 19:59 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)
平成20年2月28日、この日はそれまで4年半生活した奄美大島から離れた日でした。
前の日に借家を引き払い、奄美市内のホテル(確かニュー奄美)に宿泊、
翌日チェックアウトしたあとツマが職場でお世話になった方に車に乗せてもらい
空港のある笠利町の奄美パークで食事。僕は油そうめんを食べました。

油そうめん

飛行機の時間まで、どこだったかの海岸(失念)に行きました。
空港に着き、搭乗時間になると、ツマの他の職場仲間がお見送りに来てくれていました。
僕は奄美を離れる日と時間を言わなくて、メールだけで済ませていましたが
見送りの方に囲まれたツマが羨ましくて仕方がありませんでした。

13:00過ぎの大阪行きの便で、奄美大島を離れました。
あれ以来、飛行機にも乗っていないし、奄美にも一度も遊びに行っていません。
奄美大島での時間は、あの場所で止まっています。

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大阪空港に着いたあと、モノレール、地下鉄を乗り継いで新大阪駅へ。
そして新幹線で名古屋まで。2月28日は、名古屋駅前のホテルに宿泊。
その前の年に宿泊した小さいホテル(部屋も小さい ベッドも小さい)でした。
夜寝るとき、島の仲間と別れたことを実感したのか、ツマがすすり泣きをしていました。


奄美で何度目かの体調を崩して仕事を辞め、そのあと2ヶ月間、退去するための準備をするほかは
ただただ、時間が経過していくだけで、
しかし早くここを離れたいと思うようになっていました。
それだからか、奄美から離れ、大阪に着き、名古屋にまで戻ったときは
ぼんやりながらもホッとしていたと記憶しています。
自分の数々の失敗をどうにも頭で整理できず、働くことも適わなくなり
もう俺どうしようもないなと思うしかなくなっていました。


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2月29日、名古屋からJRで戻ったのは
僕ではなくツマの実家のある岐阜県中津川市。
中津川での新生活がはじまった日でした。


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by OuiOui1974 | 2018-02-15 20:57 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)
 2006年と2008年以降続けてきた「1年間を振り返る」、今年は記録が少なくてどうしようかと思いましたが、一応綴ってみます。

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 自分の家を持つようになって2年目、自治会、青壮年会の行事もなるべく出席するようになり、もはや移動民族気取りは過去のものとなってしまいました。
 未だに僕自身違和感を拭えないままで、出席はするものの馴染んでやっているかは甚だ疑問ですが、「夜間ソフトボールに出る」「マレットゴルフに参加する」「町民運動会の段取りをする」「駅伝大会の(以下略)」などしている男が馴染んでいないと言ったところで誰も信じないと思います。
 それでも自分から話を切り出すとかは相変わらず大の苦手で、来年はその壁を乗り越えられるかが課題ではあります。


2017年4月13日


竜安寺

 昨年は長野愛知岐阜の3県内をミニマムに動いていただけでしたが、今年は頑張って東京・滋賀・京都まで足を伸ばしました。これは僕としては割と頑張ったつもりです(遊びなのに)。
 東京は山手線の東側以降、関西も大阪以西には及ばなかったので、これまた来年その向こうに行けるか、チャレンジしたいです。



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 体調も崩しました。2月にインフルエンザで1週間、6月に扁桃炎で1ヶ月程度不調でした。
 メンタル面は町内行事でやられるかと思ったら意外に乗り切れたのはよかったです。
 相変わらず肥満です。強がっていますが人としての価値を下げているのは事実で、もう少し健康に気を遣いたいものです(これは来年1年で改善したい)。


木製模型 薬師寺東塔
 
 模型は奈良の薬師寺東塔などを製作。あれは時間と根気があればどうしようもない不器用でも作れます。
 来年はやりません金が勿体無いので・・・と思うものの、用具類がさびちゃうのもどうかなあとも。小さいのはやりかけが一つあるので、そいつはやります。

 あとは・・・仕事は大した成長も無く、むしろマンネリ化を放置している感じで、よろしくありません。
 いろんなことに原因がありますが、本や新聞を読まなくなり、知識を獲得しようと思わないことと、考えることを止めてしまっているのが駄目なところだと思っています。
 こういうブログも書く練習としては有用なこともあるのに、ご覧のとおりサボっています。
 このままいくと脳がスッカスカになるかもしれない。もう少し危機感を持つべきだ、と痛感しています。

 そんなわけで、実生活としては収穫があった一方、内面的には得るものが少なく課題が残ったという、ちょっといかんともしがたい1年ではありました。残り少ない2017年の日々で、新しい年をどう生きるか、よく考えたいと思います。

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by OuiOui1974 | 2017-12-27 17:45 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)

 10年前の今頃以降、奄美大島は天候が悪く、特に2008年(平成20年)2月は晴れた日が1ヶ月に2日程度しかありませんでした。
 そういった天候が影響してか、それまでなんとか持ちこたえてきた僕の心身が急激に悪化してきました。

朝仁峠・名瀬隧道
 
 おかしいなと思えてきたのが2007年(平成19年)10月に入ってから。仕事中、何をしているのか分からないまま過ごしてきて、そのままお客さんを抱えるようになり、これは始まりと終りがどこにあるのか、今やっている作業が正しいのか間違っているかも分からない。まるで大海原をコンパスの無いヨットで漂流するような思いでした。そうなると不安と焦りばかりが頭の中を埋めるんですね、気持ちが不安定になっていきました。
 朝8時半すぎに出社して終わるのが夜の8時くらい。たまに長い残業もありましたが、体感的に拘束されている感じは、それほどありませんでした。ただ・・・時間の締切だけが分かっていて刻々と迫っているのに、作業の流れが全くわかっていない、そんな中で一日中机に向かうのが、どんどん苦痛になっていきます。
 それならば、他の職員にアドバイスを仰げばよかったのです。職員のみんなは決して意地悪とか陰湿なものではなく、聞けば必ず教えてくれたはずでした。しかし、なぜだか僕は聞こうとしませんでした。聞いて職員の手を止めてはいけないと思ったのか、今更アレコレ聞くことはいけないことだと思ったのか。


(このあとも長いので続きはこちら)
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by OuiOui1974 | 2017-11-08 20:41 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)
2007年(平成19年)の夏
まだ僕たちは奄美大島にいました。
何度も繰り返してきた転職3回目も数ヶ月経ち、
確か夏ごろまでは時間社員扱いで
土日祝日も休めて、無理なく働くことができていました。
仕事の範囲もそんなに広くなかったし。
6月から働いていましたが、確かほぼ1年間無職状態だったからか
働けることの喜びを”まだ”噛み締めていたのです。

喜びはまた
この夏もまた奄美に居る事ができたことにも向けられています(上のブログリンク参照)。
極端に言えば、夏の奄美大島を過ごすことが
この島に移り住んだ最大の目的だったのです。

4年目の奄美大島も、夏の色が濃かったです。

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残念ながら楽しい時間は夏までで
翌年2008年(平成20年)2月には奄美を離れることになります。
その辺はいずれまた触れるかもしれませんが、
当の本人も
この時はまさかそんな急降下な体験をするとは思わず
南の島での生活をめくっていました。

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by OuiOui1974 | 2017-07-15 17:33 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)
10年前は、2007年(平成19年)になります。
10年というと長いですが、2007年というと、そんなに昔の話には思えません。
安倍さんが10年前も総理大臣やってたぐらいですしね。
それでも、10年前は僕は奄美大島に居たので、一昔前だと言えばその通りなのでしょう。
2008年早々に島を離れたので
実質2007年が奄美移住最後の年だったと言えるのかもしれません。

2006年7月から2007年5月までの長い間、無職でした。
2007年2月はちょうど日商簿記2級、建設業経理士2級の受験対策をしていました。
3月まで就職活動もしなかったので
まともな社会復帰活動としては試験勉強しかしませんでした。
簿記試験は決して難解なものではありませんが
仕訳や計算が独特で、相性の良し悪しはあります。
僕はというと、相性は悪いほうだった(と思う)ので
時間をかけるしかありませんでした。
仕事をしていないので時間はたくさんあって、毎日3時間~5時間程度勉強しました。
実質的な対策期間は3ヶ月で、3時間以上というのは時間をかけすぎだったのかもしれませんが、
よくもまあ根気よく続いたものだなあと思います。
試験勉強も、そのあとの就職活動もそうですが
これからの未来を切り開くための準備をすることは、非常に気持ちのいいことでした。

「一寸先は明るい」
それを信じて、2月末の試験に臨もうとしていた、10年前のことでした。

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by OuiOui1974 | 2017-02-04 06:44 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)
ブログとFacebookを見返して、自分の備忘録として書き留めてみます。


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家を購入しました。
約20年落ちの平屋ですが角地なので窮屈さはないです。
小さいけど、2人なので十分。逆に使いようのない裏庭をどうするか思案中。


2016年6月12日

見向きもしなかった草花にも目が行くようになりました・・・が、
何をどう育てていいのかまったく分からんのです。面倒だし。
この辺はあんまり変わっていない。
写真はヒメイワダレソウ。雑草を駆逐して増殖するグラウンドカバーですが
かわいい花も咲かせます。愛称はひめ子。

自治会、青年会に加入したので、地域行事に出るようになりました。
もう色々が革命的大転換。僕はこんな人間じゃなかったのに。
今は前向きにとらえているつもりです。お酒飲めるしね。


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引越しして間もなく、実家の祖母が他界しました。
この写真は2008年、祖母がまだ現役バリバリのババアだったころの離れ。
この離れも葬儀後に解体されました。僕も子供のころ住んでいた、懐かしい場所です。
葬儀関連の流れが、飯田下伊那のそれと違うのに戸惑いました。
比較的狭い地域単位で(もちろん宗派によっても)違うのは承知していましたが
そんなものなのですね。冠婚葬祭に戸惑わないよう勉強します。


2016年7月17日

大相撲名古屋場所に行きました。御嶽海が負けてがっかりでしたが面白かったです。
ただ、夏の名古屋は湿度が半端ないですね。グッタリしました。

今年は旅行そのものが近距離ばかりで物足りなさが残りました。
遠けりゃいいのかというと、そうだと答えます。
どのくらい住んでいるところから離れられるか。僕は重要な物差しだと思っています。
来年こそは、行事の合間に、なんとか・・・。

会社勤めも6年目に入りました。
こんな根無し草みたいな男でも仕事が続いているのは我ながら不思議です。
総務の仕事、経理の仕事の技術を向上する体験がなかったのが残念。
一方で、サービス部門(というのも担当してる)では
雇用トラブル・犯罪・事故対応など、なかなかスリリングな体験ができて
正直もう勘弁と思うものの、これからに繋げられたらと思っています。


そういえば競馬、やめちゃったな・・・競馬資金が底をついたのだ(負けっぱなしで)。
やっぱり所詮ギャンブルだなと思いながらも、馬は男のロマンだしなあ・・・。
また気が向いたら再開したい、という程度です。

長くなりましたが、また少し続きます・・・と書きましたが
やっぱりやめます。
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by OuiOui1974 | 2016-12-18 09:41 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)
1月1日に立てた「1年の計」を振り返りつつ。

・関東首都圏を含む東日本(山梨を除く)に行く
できませんでした。今年は長野愛知くだらない岐阜の3県内をウロウロするだけ。
来年こそは関東に行く。意地でもいく。

・模型を2つ以上製作する
2016年1月4日

2016年2月13日

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写真がないけどこの他にかやぶき小屋Part2を作ったので、4件製作。
次回は少し趣向を変えてもう少しモダンなものを作ってみたいです。

・前月比体重を300g落とす
逆に太った。酒のせいです。肝臓が異常。
今は週4日飲まないのを続けられるか、頑張り中。頑張るっていうレベルではないが。

・ふぐ・鹿・イノシシを食べる
イノシシはこれを食べました。
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実はよく覚えていない。あっさりしていたらしい。
鹿もどこかで食べた。カレーに入っていたそうです。覚えていない。
ふぐは食べていないので、来年に持ち越します。涙。

・32型テレビを買う
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シャープのアクオスを買いました。オリンピック直前に。
4Kとか見るのは2024年のパリオリンピックになると思います。
※開催地は決定していません。ブタペストかロサンゼルスかも分からん。でもパリだろ?

来年も5つくらい目標を掲げて
実施率80%を目指します。東京でふぐ食いに行けば2つはリベンジできるな・・・。
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by OuiOui1974 | 2016-12-18 08:47 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)

常に出来心


by OuiOui1974