2007年 06月 02日
沖縄と「木綿のハンカチーフ」
沖縄に来ています。嘘です真っ赤な。
今から5年前、2002年の6月、
はじめて沖縄・那覇に来たときの写真が残ってました。
ネガからCD-ROMに焼いてもらったやつも、今はハードディスクの中にあります。
*
さて、この初オキナワの旅では、
同時に初レンタカー・初カーナビ、でした。
しかし那覇市内のグッチャグチャな道路では全くナビが通用せず。
できればもう、国際通り付近は運転を避けたいところです。
首里城からの帰り道、
ラジオでは地元の番組が流れていました。
ちゅらうみよ~ちゅらそらよぉ~♪とか
とってもうっさん臭い歌が何度も繰り返し耳を跨いできて
頼む僕の運転邪魔せんでくれと見切りをつけ
民放からNHK-FMに変えたら全国系のリクエスト番組になってました。
そこで流れていたのが太田裕美の「木綿のハンカチーフ」でした。
1975年シングルカットの、知る人多きヒット曲。
それでも私は21世紀に入ってなお
太田裕美のことは片言程度しか知らず、この曲も殆ど覚えていませんでしたが
歌詞の随分な内容を知り
(都会へ旅立つ「僕」と田舎で待ちわびる「恋人」にやがて生まれる乖離した感情、とか)
一方でこの歌のことを知る妻と
あーだこうだと車内で話した記憶があります。
また、帰りの那覇空港へ行くタクシーの中で
今度は椎名林檎が歌う「木綿のハンカチーフ」が流れていました。
オリジナルを聴き慣れていなかったからか、こちらのバージョンも普通に耳に馴染んで
あーそうだ、この曲だよ、なんて言いながら聞き入っていました。
以来、この「木綿のハンカチーフ」と「沖縄での思い出」の数々が
切っても切れない間柄に相成りました。
アレを聴くと、空や海ではない、
騒然とした感じの、那覇の町が確かに浮かんでくる。
もはや私の中では
沖縄=シマウタではない、なぜか「木綿のハンカチーフ」。
旅遺しとは、案外そういうものなんじゃないかな、って思います。
あー敢えて挙げるなら
さっきの「ちゅらう~みよぉ」だ。調べた。bkozという人だ(既に解散)。
衝撃的ではあったなあ。
現在はYouTubeなる便利な道具のおかげで
こんなシーンに簡単に出会うことができました。
わりと最近のモノと思われる本人の曲(リンク切れはご容赦を)
その町々と一見無縁なものが
むしろ当時の記憶を掘り起こしてくれる、
そんな思いが心地よかったりするものだと、思っています。
こっちは2004年秋の首里周辺にて。
といつも家族が言っています。
僕は奄美に行ってみたい。
「つぶやき」が楽しみです。
軽いのが利点と言われてきたエキサイトブログがトラぶってます。
開発チームブログで逆切れしてる子と変に大人ぶる子が
水掛け論してて、なんだかです。
ブログで小競り合いすんなよとつぶやきたい。
観光するならゼッタイ沖縄だと思うんだけど、
自分の住む町のように歩いてみるなら
アマミオーシマも悪くないと思います。
あんまり浮つかない感じが、おすすめ。
どこに泊まってんだ~って。(笑)
首里あたりの道は、迷路です。
カーナビってきちんと最後まで案内してくれないそうですね。
近くに来ると、案内が終わっちゃうとか。
それって本当に意味がないような気がします。
沖縄は本島、離島合わせていろんな楽しみ方ができると思います。
あとは楽しい観光or歴史観光をするのかでも、全然違うかと。
歩いて観光するなら、離島が一番お勧めかもしれないです。
今年は泳ぎに行きたいなあ。(去年も一昨年も海で泳いでない)
さて、沖縄に来るときに私に連絡を怠ると、あとで怖い目にあいます。
義務のように連絡はきちんとしませう。
それはおそらく謀叛です。決死の覚悟になります。
度胸が無いので三顧の礼を以って接見願いたく候。さふらう。
一回ぐらいヒコーキで行ってみたいものです。琉球エアコミューターで。
沖縄は中南部と八重山を少し廻っただけで
他の場所は全く未知の域です。
かといって行く予定を立てるかと言うと多分無くて
これからも那覇以外では宜野湾に行くと思います( ・ω・)
もはや観光ではなくてお菓子食いに行くみたいな。
カーナビは、最初に懲りてから一度も利用したことがありません。
あん時も、結局は本の地図に頼りっぱなしでした。
これからは方位磁石で事足りるような気がします。車も徒歩も。