2007年 04月 27日
名古屋について(何か知らんけど長い)


今回、
名古屋駅から地下鉄伏見駅まで何度か歩いて往復しました。
こう写真で見ると、落ち着いたオフィス街にも見えますが
実際の名古屋駅および周辺は
以前にも増して人が多くなったように思います。
7年ぐらい前、駅がセントラルタワーズに変わったときから
町の中心が栄から名駅に移るだろう、と報じられていましたが
改めてやって来て、ようやく実感しました。「名駅は、変わった。」と。
栄なんかちっとも変わんない感じだったし。
*
私はもともとくだらない岐阜県出身で
直接名古屋市内で暮らしたのは3年程度ですが
大学もバイトも名古屋だったし
その後も近郊で勤めていて
非常に身近な場所でした。
勿論(東京や大阪とは比べ物にならないけど)
昔から大きな町で、地下鉄やバスの乗り継ぎには苦労させられました。
もっぱら遊びの場所は栄であり(たまに名駅や大須)、
開店したてのHMVに入り浸ったり美術館に通ったりと
勘違い系を地で行っていました(とても恥ずかしい)。
いつからか、本屋で働きたいと思うようになり
東京にあるような
専門書がいっぱいの大きな本屋に就職することを目指したものですが
一番利用していたのが
学校の帰り道にあった地下鉄いりなか駅前の三洋堂で、
「ここでいいかぁ」と思い、そのまま入社してバカをみました。
(でも昔のサンヨウドウ本店はレンタルに汚れていない、いい本屋だった)
何の話だっけか。まだ続くので一休みしてから読んだほうがいいです。

伏見駅近くの白川公園を懐かしむべく、訪れました。
この先にあるのは名古屋市美術館。
黒川紀章デザインの建物の中は、
ほんの少し風変わりな、
重厚さはないけど「んー芸術」と謎めく空気。
ポスターにある
サルバドール・ダリの展覧会はもうちょっと先でした。残念。
久屋大通公園のような喧騒も無く、
さりとて庄内緑地や大高とも違う、
静かな「都会の森」です。それは言い過ぎか。
夜になると気合の入ったカップルが多かったのですが
今回は昼間なので
少年少女とお疲れリーマンが弁当を食べる姿ばかりでした。
科学館(写真下)もあって、行くたびワクワクしたものです。大人になっても。
久しぶりに入ったのですが、あんまり感動しませんでした。疲れてたし。
科学も遠くなりにけり。
でも電車模型の実演は始終食い入りました。
案内のオネイサンありがとう。科学じゃないけど。
*
思いのほか、名古屋の空は広く感じました。
うんと、青空。

ここ数年、島から出てないワタシですが、若いときほど都会に魅力を感じなくなってきました(加齢に伴う志向の変化かな?)
土の無いところで生きていける気がしません(-_-;)
でも、写真で見るかぎり悪くない青空。
芝生に寝そべって、眺めるのもいいかな。
ケータイとカバンを抱えた
背広のリーマンたちがごった返していて眩暈がします。
かく言う私も
この日は彼らと同じ格好でカムフラージュしていたわけですが・・・
ネクタイってめんどくさい。よくあんなもんしてたなぁ。
この町、島と違うのは、
天気の移り変わりのペースがゆるい分、
雲一つない、天晴れな青空が結構あること。
自然はさほど多くないけど、水や緑には囲まれている。
人の波に呑まれて少し疲れたら、
そこらに座って目を閉じてみるのも
案外気持ちよいものです。

この街は歴史が薄っぺらくて、ディズニーランドみたいなんだよなー。
高校生の時迄は、近代美術的空間に騙され満足してたけど。京や江戸を感じるエリアに住むと、あっという間に自分の中でめっきが剥れてしまった。
今は私、田舎剥き出しの岐阜のほうがずっと好きだな。
ということで
どうもどうもヒロツグ先生
過日誕生日を迎えたはずでおめでとうございます。
俺様などはメッキどころかガマン汁が漏れそうな衰えを感じます。
加えて今の棲家は未だ昭和30年代、
あたかも三丁目の夕日に出てきそうなダウンタウンにあって、
そんな底辺から見上げると、他のどの町も立派に見えるのよ。
まあ、人間到る所青山ありとはよく言ったもので、
外に出てたくさんの地を踏むのもまた人生の楽しみですな。
とろこで貴殿は記憶では我輩と同じ高校だったはずなのだが
そんなに名古屋に行ってたのかね。デートだなこの野郎。

>過日誕生日を迎えたはずでおめでとうございます。
どうもありがとうごぜまス。年を3倍すると大変な事に。
>とろこで貴殿は記憶では我輩と同じ高校だったはずなのだが
そんなに名古屋に行ってたのかね。デートだなこの野郎。
ああ、勿論。
トイイタイトコロダガ、小生、貴君と最後に中津川で会った後、学校卒業して2年間、小牧空港の近くで勤労しておりました。名古屋は庭でしたぞよ。
>結局ひででいいのか
貴女の下に山のつく人がいます。許せないですね。よく分かりません。
奄美大島の最高峰(一番高い山)は湯湾岳、標高694m。
加子母の小秀山が1982mですから、それに比べれば低い。
でも、海と山の距離がものすごく短いので、
低いけど「山だらけの島」に見えます。
名古屋と関係なくなりました。奄美は田舎です。許してください。
えーそれは初耳・・・>小牧で族やってた
てっきりチバシガサガを巡回しているものと思いました。
ミーは愛知県内で5年、
名古屋のほかは尾張旭とか春日井をウロウロしていました。
結構居着いていたつもり、なんだけど
いつの間にか、こっちの生活も同じぐらいの長さになってきました。
中途半端に黒いです。東南アジアの華僑のような。貧乏だけど。

夫婦共々、貴君の日記を隅々まで拝見させていただいた故、全て存じ上げております。しかし、移住日記が、一番手に汗握り読み応えが深かったけど…閉鎖の理由は?
①どっかからクレームが来た?
②本にでもする予定で只では見せなくなった?
③いまさら何か恥ずかしくなった?
クマ検定に正解を掲載しておくれ。
>てっきりチバシガサガを巡回
ふっ。我々、15年前には考えられない位、地理的にはばらけたものよのう。カナダとか香港とか行ってた人がバッチリ瑞浪にいて、どう考えてもあのエリアから抜け出せなさそうな顔の小生や貴君がこんなそんなとこに住んでるんだから。
クレームは・・・多分もらっていないはず。
本なんか出せたらカッコよかったけど金とって読むような代物でもなく。
ただ、情報も古いし書いた当時と現在との感情の乖離もあって、
「移住はオススメは・・・できません」的思考になっちゃったことで
いらんかな、って思って消しちゃった。
読んでくれた方の反応はよかったんで迷ったんだけどねー。
メロリンQことナポは瑞浪なのか!!
あの海外逃亡は、本当に追い出されてたんだな・・・。

「移住はオススメは・・・できません」的思考になっちゃったことで
あれを初めて読んだ時から、移住に必ずしも賛成でないスタンスは伝わってきたし、ますますもって、『感情の解離』と『今どう考え感じているか』を読者は知りたがっていると思うよ。私も知りたい。
最近やたら移住ものでてるけど内容が薄っぺらくて、いいことばかりだし、新聞などの巨大メディアは、原住民の反感など、マクロレポートになりすぎていていささか実感が無い。例えアップデートしなくても、実体験ルポは、貴君のものが時期的に最も先駆けていて、最もリアリティーがあり、移住を考えている人々にも、社会的にも価値あるものだと思う。
…ホメ過ぎか。
情報が古いことをことわって、さらっと現在のコメント書いて再掲してよ。
ズバリそうでしょう的な立場でなかったのか貴様はw
そんだけ言ってくれるんなら
まあ、少し手直しして肉付けして
ウェブログに転載、という手段を講じてみようか。
もう少し待っておくれ。データを探すことからはじまるのだ。

懐かしいなぁ。そんな頃の自分。しかし、小生は生来周りがなんと言おうと良い物は良いという性格だぞ。
批判的な精神は常にあるのだけど、社会経験&人生経験により多少大人になったので、昔よりは少し思慮深くなったのだろう。
じゃあ、肉付けした物を、貴君の期待にお答えしてけちょんけちょんにするので早く復活させて。