2007年 01月 19日
"そもそもの"簿記との出会い(前半)
本筋から離れて、過去をたどった備忘記録を起こしてみようと思います。
例によって「続きを読む」扱い、また今回は行区切り無しで書きますので
一部の簿記フェチ+俺様マニアの方、ご覧下さいませ。
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時間は1995年(平成7年)に遡ります。
法学部の学生でありながら法律嫌いという、専攻違いも甚だしい私でしたが、卒業するには当然法律科目もパスしなければならず、卒業年次になっても履修科目をたんまり残していて、苦痛の毎日を過ごしていました。
その中には、六法のひとつ「商法」があったのですが、その関連科目で総論のほか、「手形・小切手法」「会社法(未独立法)」「企業会計法(企業会計原則)」なども履修しました。全然覚えていません。
特に企業会計法が簿記に近いものでしたが、授業の半分以上は睡眠学習でした。そんなのでも「優」がつくのですから、大学=遊園地と言われても反論の余地はない気もします。
そんな劣等生を地で行く私の脇で、「簿記の試験を受ける」と熱を上げている輩がいました。以降、Iと呼びます。当時大学(別の学校の経済学部)2年。
秋に「日商簿記2級を受ける」と言ってましたが、私は簿記という言葉すら理解しておらず(先述の企業会計法からも連想できず)、受験勉強をしているIを「ふーんまあ頑張れよ」程度にしか思っていませんでした。
Iの将来の夢はCPA(公認会計士)でした。弁護士に次ぐ難関資格なのですが勿論何をする仕事なのか私が知る由もなく「ふーんまあ頑張れよ」程度でした。アホですな自分。
この話をするたびにIの目は輝いていました。あんまり覚えていませんがやたら「財務諸表」という言葉を連発していました。何がそんなに面白いのか分からないし興味もないしで、正直話に付き合うのに大変でした。
11月の2級試験に合格してから、さらにCPA取得に火がついたのかIは「ダブルスクール(放課後に専門の予備校に通う)する」と言い出して、翌年から会計系専門学校のTACに通学するようになりました。
一方の私は、なんとか学校を卒業し社会人となりIと会う機会も漸減し、秋には全く会わなくなりました。
その後人づての話ではIは結局普通に就職し結婚し子供ももうけたそうですが、結局CPA受験はどうなったのか分かりません。(後半へ)