2006年 12月 18日
東京・高尾、別世界への窓口
今日は
日本の首都といわれる「東京」にまつわる記憶をお話します。
東京という場所はいつ訪れても
外国にも似た「別世界」で、浮付いた気分が身を包みます。
それは必ずしも山手線圏内や23区に限った話ではなく
都心から離れたニュータウンから、それとなく感じ取ることができます。
東京の空は、黄色い。
・・・
長野から電車で東京に向かう際は
山梨県を通って都内に入ります。
その玄関口が、東京西部・多摩の中心地、八王子。
そして最初の入り口は、JR高尾駅。
都心の絶壁とでも言い表せるこの場所、
逆に田舎からやって来た人間には
果ての町・高尾から続く
急に広がる平野と団地、やがて見えてくる各駅の賑わいに
戸惑いを隠せなくなります。
かつて
はじめての都心暮らしを目指した
学生さん、新社会人たち。
東京に夢を見て
その現実を知り
現在でも過ごしているのか戻ったか
様々だけれども
電車で、遊びとは違う空気で
高尾駅という「別世界の窓口」をくぐった
あの頃を、思い出したりするのでしょうか・・・。
私は東京で暮らしたことも仕事も経験ないけれど
高尾駅に到着して、
空色の電車からオレンジの中央特快に乗り換えて
飽きずに車窓を追っかけているうちに、
ふと、彼らと勝手に同化したくなるような気持ちになりました。
東京へ遊びに行った、
今年の5月末のことです。
*
実はまだ、この東京話は続くのですが、例によって長くなりますのでw
とりあえずここまで、です。
高尾、八王子、豊田から三鷹ぐらいまでの
「のっぺらぼうな」場所を気だるく過ごす時間に相応しい
田舎人間の気持ちは
ケツノポリス4
ケツメイシ / トイズファクトリー
もう、このアルバムのラスト近くの
「東京」という曲を置いて、他にありません。
これ以上も、コレ以下も浮かばない。
あの黄色い空も、通勤通学する人達の顔も浮かんでくる。
かつて東京に住んでいらっしゃった方、
現在も東京や都心にいらっしゃる方、
全く縁のない方、
あの別世界は
やっぱり変な気分にさせてくれます。きっぱり。
思わず高尾が目に入り書き込ませて頂きます。
自分は東京の方が寧ろ懐かしいかなーとも思ったりもします。
1,2回生は大学が高尾の山ん中で、
3,4回生は神田神保町とかなりの距離を通学してましたなぁ・・・
特に3,4回生は通勤ラッシュに揉まれてカハッツ!!・・・(´Д`).∴な
目に何度も遭いました。
バイトも変な人間が居て嫌気が指しました。
島と違い、空気が濁り、喘息とアレルギーが酷くなる毎日。
でも、仲間と言う確かな心強い存在があったからこそ、
今の自分が居るのかも知れない。
ケツポリの【東京】はいつ聴いても懐かしさで泣いてしまいますね。。。。。
独特の世界と新たな価値観を供給できる良い土地でした。
また借りてきます・・・・
もう何度も借りてT定員に【いい加減に買えよ】と白目で見られてる今日この頃てす(笑)
ワタシは、都会が苦手です。
ふと立ち止まって、たくさん人が歩いているのを見ていて
「こんなにたくさんの人がいるのに、知ってる人が誰もいない・誰もワタシを知らない。」
というのは、結構な恐怖…というか、激しい孤独感というか。
正直。山奥に住んでる感覚と似てると思った。
あくまでワタシ個人の感想だけど...
どんな場所でも
いろんなヒトの気持ち、思いが空気の中で交錯する、
気取った言い方をしてるみたいで自分を正座1時間の計にしたくなりますが
素に、歓びも哀しみも、光も影も、通っている筋が、見えるように思います。
というわけで以下に分けてレス。
すみません、今お名前を入れて変換キー押したら「弱君」になりました。
MS-IMEが悪いんです。
勝手ながら次回からお名前の呼び方をうぃうぃ風にするかもしれません。
神保町、本屋勤めの人間の憧れの場所でした。古本だらけだけど。
実は1回しか行ったことがありません(6年前)。
三省堂のビルがボロンボロンでした。
高尾から神田とは、激しい移動ですね。そういうもんなのかな大学って。
私は同じ場所に4年間。プラス会社の本社が同じ駅で7年間。
名古屋なんで地下鉄でも田り舎な場所でした。「り」はわざとです。
元気になったみたいですな。それでよろしい。酒は待ちなさい。
私も東京のとんでもない大混雑は永遠にダメだと思います。
うまいこと平日の昼間を狙って訪れたりしましたが
一度土日の新宿に当たって、死にそうでした。もう嫌だ。
あの辺は、みんな孤独。
仲間を探すふりをする人もいるし
それを粋がってるのもいるみたい。
自分を失って途方に暮れるヒトも少なくない。
どちらにしても、夕方は歩けないな、オリも。
アーケードが一番だべな。そうか?w