2006年 03月 11日
この空間で、どこまで「汚れ」を隠さずにいられるか
というか、以前から思ってはいるのですが。
インターネットという空間では
いくらでも「自分」は創れます。
*
フルチンでエロサイトをめくりつつ
鼻をほじった手で股を掻き
缶詰の焼き鳥と100円チューハイでシーハーしつつ、
「クソッメンバー限定かよ」とつぶやきながら
手持ちの画像でそろそろ(以下略)
という現実も、
汚れを隠して
ついでに小道具を
しゃらくさい洋酒と音楽に変えてしまえば分からない。
あいつマジでむかつく
なんか知らんし会った事もないけど痒いんだよ
つか何だよお前(以下ループ)
という感情も、
言わなければ、書かなければ、分からない。
*
人間の汚れた部分を隠す事自体に問題は無いと思います。
そうあるべき場面も当然、あります。
ただ、場所場所において、
どうみても「人物像を創っている」雰囲気を感じる時があって、
それがスタイルなのか、周りからの期待に反応しているのか分かりませんが
必ずしも
共感、感動、和みを感じる、とは言えないのです。私は感じない。
むしろ
ああ、俺と同じだ、いや俺以上にひでえなお前、という
「生活感ある」少し汚れた空気を吸いたい、と。そのほうが、よほど落ち着く。
多少のホコリや雑菌があってもいいと思う。トイレはちゃんと流してほしいけど。
サイトやブログは現実と同じく「部屋」。
ひどく汚れた場所には行きたくないけど
キレイすぎるのも、逆にどう振舞ったらいいのか困る。
もっとも、
汚れた場所に喜んで入っていく人もいるし
浄化を望む人もいる。
そこは私自身が視野を広く持つべきでしょう。
極端な偏見と独善に陥るな、と自戒しなければなりません。
でも
私は、自分の場所では
「なんでもあり」を望んでいます。
かつて排斥的だった部分に対する戒め、反省も込めて。
長くなりました。これからも宜しくお願いします。
読んでくださる方も、コメントを下さる方も。

どんなにキレイにつくっても
その人の根性の悪さとか、価値観とか
なぜか浮き彫りのように見えてきたりして。
と、性格の悪い私が言ってみるテスト。
くまぞおさん、早起きですね。
同じ時間にネットに繋いでたってだけで、なぜか連帯感。