くどうれいんさん(以下、著者)のことは、この本が書店に並んでいることで初めて知りました。プリンスメロン色の装丁。
本書ではある4月から翌年3月までの1年間のうち1か月ごとで区切られ、まず「日記の練習」とした短文(時に長文、時に記載なし)があって、最後に1か月まとめて「日記の本番」という3ページ程度の長文が掲載されています。文学賞の受賞を逃したり、結婚を経たりなど、少しだけ特別なイベントはあるものの、ほとんどは著者のありのままの日常と思いが綴られていて、奇をてらうような記述は目立ちません。
通読して思ったのは「人ってこんなにプリプリするもんなのかな」ということでした。そういえば、僕も周囲の人も時々「なんか知らんが不機嫌」「かといって激昂するわけでもなく人知れずプリプリしている」。カッとなって態度に出るもののどこか自分の中でストップがかかって落ち込む。ああ、ありますよねそんなこと、とか思いながら読み進めました。「書くことで適切な距離がとれて冷静に見つめ直せるのかな」と著者は別のインタビューで答えています。
日記は本来個人的なもの、見せるためではないものだと思いますが、一方でブログ、SNSなどは(非公開にしない限り)人に見てもらうための日記ですよね。オープンな日記だと「部長がむかつく死ね」「今月から給料が2万円増えた」「おっぱいぶるんぶるん」ということは書きづらい一方で、人が読んでいるのだからある程度面白おかしく、読みやすく書かないといけない、そう思って公開している方は多いはずです(見ている人が多かろうと少なかろうと。うちなんかポツンと一軒家だが💦)。
クローズ日記とオープン日記、どちらがいいとかではないんですが、長く続くのはオープンのほうなのかも、と僕は考えています。ただ、日記なんて義務でもないので、止めたり再開したり、勝手に書きなぐれるクローズのほうが「自分らしさ」を表しているかもしれません。
本書で著者は「生きている限り日記に挫折した人生は続いている」と綴りました。日記も人生や生活の一部分、途中で止めようが日々は続くのです。だからまた書きたくなったときに再開すれば全然オッケーなのだな、人知れず。
僕の日記ももうすぐ丸5年、ブログは20年になります。いつか止める時が来るけれども、それまでは日記を生活に利用し続けようと思います。