この「民間防衛」に記されていると聞いていた「武器なき平和を叫ぶ者は敵国のスパイと思え」という一節は、実は翻訳・新装版には載っていません(旧版か母国版には載っているかもしれませんが)。それにもかかわらず「武器なき平和を〜」は「民間防衛」でも目立つフレーズとして彼方此方で紹介されています。
本書では、外部からの攻撃を受ける可能性が発生した際、国民が具体的にどう行動すべきかを体系的に解説しています。
注目すべき指摘は「外患」と「諜報(スパイ)」など、外国と通じて自国に武力行使「等」を行わせ不利益を被らせる行為についてです。武力行使「等」、と書きましたが、実際には武力に拠らなくても国を制圧してしまう危険性を、特に訴えています。大衆への扇動、教育の掌握、平和や人類愛のプロパガンダ利用・・・「武器なき平和を〜」の一節がなくても同義の危険発信は、確かに本書ではされているのです。
「民間防衛」はスイスで1960年代後半に発行されたもので、翻訳版も文体・構成共に決して読み易いものとは言えません。ただ、武力ではなく外患・諜報、反政府集団を通じて他国から侵略される恐れを痛切に訴えていることはよく分かります。個人や団体が純粋に武器なき平和を訴えていたとしても、それが外部の悪意ある国家・集団が我が国の自由と独立を揺るがす要素になりかねないことを、たとえ冷徹であっても警戒しなければならないと改めて思い知らされます。
なによりも、私達は他国の侵略に限らず自然災害・インフラ障害からも身を守り、なんとしても生き抜く術を知らなければなりません。「民間防衛」が日本で注目を浴びたのも、翻訳版が出た1970年代ではなく、阪神淡路大震災発生後の1990年代後半のことです。私は誰彼が理想を説き続けるのを否とはしませんが、自分の生活行動を見直さずして理想のみに走ることには強い違和感を覚えます。市民各々が己の能力に応じながら真剣に生き抜く術を研鑽すること、それが「民間防衛」であり、思想信条とは別に行動するよう律しなければならないと思います。自分のためにも、将来を継いでくれる世代のためにも。
※ただし、本書が(現在は載ってもいないのに)「武器なき平和を~」ばかりに注目が集まり、体制批判を許容しないための説明書だというイメージが先行していないかという印象も残りました。あくまでも本書は命を守るための指南であり、闇雲に排外主義に陥らないよう留意すべきだと思います。