人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

OuiOui

10年前の記憶:年末から始まった新生活

 2005年以降の奄美~諏訪~奄美~中津川、と辿ってきた「10年前の記憶」も、今回から飯田編、ということになります。


2011年12月5日

 2011年(平成23年)11月下旬、転職に伴って引越しました。人生で10回目。
 長野県は諏訪市、富士見町に合計8ヶ月程度住んでいて、飯田が初めてではありません。とはいえ、直前まで隣接する(岐阜県の)中津川に住んでいて、仕事で南木曽町に行くことも多く、全くの未知な場所ではありませんでした。
 とはいいながら、それまで飯田をまともに訪れたことは皆無でした。道に迷って近くの阿南町、下條村に辿り着いたことはありましたが。どういう町なのか知識ゼロ。ある意味、奄美よりも知らない。仕事があったから飯田を選んだわけですが、人生を舐めているとしか思えない選び方ではあります。

 飯田は長野県南部(以降、これを南信州と呼びます)にあり、リンゴなど果樹栽培が盛んな町です。あと焼肉店が多い。以上。一言でいえば「なにかと中途半端な町」。そこそこ人口もあり生活環境も悪くはありませんが、何せどこからも遠いし、交通網も脆弱(中津川は中央西線沿線だった)。夏は暑く冬は寒い。生活に支障の出る程度の雪は時々降ります。台風の影響が少ないのは有難いです(が、最近は変わってきている)。

 仕事は前職と同じく事務につきました。ただ、前の会社よりも取扱う量が多くて、休みも少ない(実質30日程度減った)。
 他の待遇は前職並みでしたが、変わっているのは「会社の上のアパートに住むことになった(社宅ではない)」、そしてアパート管理も担当の僕が行うことでした。簡単に言えば「僕が払う家賃を僕が預かる」。却ってややこしいか。通勤徒歩20秒(階段の昇り降り)。良くも悪くも「会社に近い」ことを実感することになります。
 前職も事務だったのに、今までがあまりにもチャランポランだったために、知らないことが一杯すぎて最初の3ヶ月程度は全然ダメでした、仕事にならない。経理の実務からパソコン操作まで一からやり直し状態。
 僕と入れ替わりで退職される方との引継ぎをしなければならないのですが、こんなできない奴(しかも土地勘無し)を採用した会社も後悔したはずです。ついでに酒の飲み方を知らなくて忘年会で日本酒をバンバン飲んで泥酔し、大変な目に遭いました。
 ただでさえ年末、1年でも忙しい時期でした。徒歩20秒なのに一日の仕事が終わるとグッタリ。部屋(アパート)に戻って仕事を振り返ろうとかそんな気力もなし。

 
2012年3月20日
 

2012年4月15日


2012年5月5日

 仕事を1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月・・・と重ねていくうち、かなりのスローペースながら仕事、ひと、地域が分かってきて、1日、1週間の時間が短くなっていきました。町を歩いて車に乗って、お店にも行き、自然に町との距離も縮まっていきました。
 それでも経理職の大舞台ともいえる「決算整理」は前職と比べてとても煩雑で、周囲にプレッシャーを掛けられながらの苦しい仕事となりました。また、業者対応の仕事も非常に多く、なんだかんだで1年は半人前状態が続きました。今までだったら絶対どこかで潰れたはずで、よくもまあ根を上げなかったな・・・と思います。奄美にいた頃よりも随分としたたかになった、ということでしょうか。
 
 僕自身の心身を保つことができた理由、というのはあります。ここまでもう長いので、次回それについて書きたいと思いす。

名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by OuiOui1974 | 2021-11-26 17:15 | 今までのまとめ・回想録 | Comments(0)

常に出来心

by OuiOui1974