当時の会社勤めも丸3年を過ぎ、本来ならさらに積極的に仕事に邁進しなきゃならんはずでしたが、8月下旬くらいから急にモチベーションが下がってきました。
原因は三つ。
一つは、「自分としては色々手を尽くしてきたのに空回りしている感が強くなった」。これは勘違い(手は尽くしていない、人のせいにしている)も多分にありますが、当時はそう思っていました。
もう一つ、「このままだと自分の仕事能力は向上しない」。これは正しかったと思います。
さらに言うなら「会社の状態がヤバい、共倒れする」。これは全く外れました。今も健在です。
9月になると、毎週ちょっと遠出していました。天気が良かったこともあるんだろうけど、何か憂さ晴らしでもしたかったのかもしれません。ほぼ時を同じくして、転職を決意しました。
最初、以前失敗した会計事務所への再チャレンジを考えていました。経験を積んだ今なら仕事の迷いも少ないだろうと。これも今、関与されている会計事務所の仕事を見ていると「選ばなくてよかった」と思えます。
同じ建設業か、業種に拘らずか、どちらにしろ営業とか販売は合わないと思っていたので事務一本に絞って探しました。絶対数が少ないと予想していましたが、思ったよりは求人もありました。
当初、エリアでは名古屋近辺で探していましたが、中津川から近い飯田市の同業で総務職を募集している企業がありました。岐阜から愛知に行くのと、長野に行くのでは文化圏として大きく異なるのですが、当時はあまり考えずにエントリーしました。
10月初旬に採用試験を受け、程なく内定をもらい、比較的転職活動は短く終わりました。
そして、当時の職場に退職願を出しました。自分ではこの会社をよくすることはできない、もっと安い給料で事務を賄ったほうが経費減になるだろう、と伝えました。本音でもあり詭弁でもありました。結局、先に書いた士気低下3つの原因、特に「このままの仕事では自分が成長できない」という思いで動きました。
自ら「ストロングホワイト」と呼んでいた非常に楽な生活、精神的な安定を脅かしてでも変わらなきゃと思うようになったのは、東日本大震災という出来事に多かれ少なかれ影響を受けたからかもしれません。もし何かあったとき、今の自分では役に立たないかもしれない、と。
色々ありながらも11月下旬に退職が決まり、気に入っていた中津川でのアパート暮らしを終え、そのまま飯田へ向かいました。子供のころ頻りに夢見た信州での生活を、想像とは若干異なるカタチで迎えることになりました。
2008年3月から2011年11月までの3年半、2度目の中津川での生活は、総じて本当に楽しかったです。今は、「奄美大島での失敗から立ち直るためのリカバリー期間」だったんだなと思っています。
あれから10年経ちますが、何せ中津川にはツマの実家もあるし近いしで、今でも頻繁に戻っています。前会社の同僚(現場監督たち)とも数は少ないですが中津川で会って飲んだりしました。社長には会えていません。喧嘩別れではなかったはずですが、どうしているか気がかりではあります。僕の実家(のあるドキ市)はさらに遠くなりました。それはまたいずれ。