東日本大震災、そして僕自身の手術から数カ月経過した夏ごろの話を思い出してみます。

10年経過してなお何も解決していない原発関連対策。それまで「エネルギー問題の解決と環境保全を両立するには原子力しかない」という考えを根底から覆された、福島原発事故。原子力を人間が扱うには能力も経験も不足しているのかもしれない、と思わされました。とはいいながら、代替エネルギーが未だ見つからない状況で、原発を完全否定するには無理がある、というもどかしい気持ちがあります。いずれ触れると思いますが、資本主義をもととした経済成長の軌道を見直す必要は、あるのかもしれません。ここんところは勉強不足。
「ぴーかんテレビ」(東海テレビ)の「セシウムさん騒動」がありました。あれから10年も経ったのか・・・というのが最初に来る。発信側の甘さが際立つ事件でしたが、改善されているとは思えません。先日の小山田圭吾の五輪作曲トラブルでも思いましたが「止める奴はいなかったのか??」と。善悪とは別に、組織連携の脆さについて考えさせられる件でした。
「殺人ユッケ」なるものもありました。本当に人が亡くなる事態で、あれから生肉を食べる風習が激減しました。個人的には生肉を美味しいと思っていたので、とても複雑な思いがします。原発とは違うけれど「食の安全」を問われる事件でした。
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10年前、僕のほうは、6月に手術した病院に最後の診察を終えてから8月くらいまでは比較的穏やかな時間を過ごしました。

7月にはプロ野球中日-横浜(DeNAではない)戦を初ナゴヤドーム観戦。あの頃の中日は、強かったなあ・・・もう優勝から遠ざかって10年。

ツマ実家で「夏の合宿」。勝手に駐車場で机とコンロを置いて米炊いてビール飲んで花火していました。メイ2号が付き合ってくれました。しくじり同士、妙に意気投合してた。大笑いした覚えしかありません。

僕だけですが夏休みを利用して北陸3県を旅行しました。青春18きっぷ。東海道線よりも北陸線のほうが混雑していました(確か福井~金沢間)。思い立って旅行できた、良い時間でした。
いっぽう(当時の)会社勤めの方が丸3年を過ぎ、久々に「わりとまともに働けている」充実感を得られておりました。今と同じ経理職、この職種は同一事業所で3期分決算を経験してようやく独り立ちだと考えていたのでその目標に達することができたのはよかったと思いました。ただ、今現在に比べても、僕の作業レベルは極めて低かった。真似事(ままごと?)という感じでした。
さらに、会社自体の組織力というのかな、まとまりが悪くてその調整に苦慮しました。喧嘩ばっかり(たまに僕も参戦)。社長自身も色々考えておられたようで僕も無遠慮に色々提案したりなどしていました。僕自身は現場監督とは決して仲悪いとは思っていなくて、公私共に寄り添おうと動いていたつもりでしたが、年下でも相手は先輩です、なかなか難しかったな。
幸いといっていいのか、当時の僕も「このままじゃ俺は駄目だな」という自覚がありました。勤務時間も休日も十分に満足してて、まあ給料はアレだけど深刻な問題もなく、できればこんな生活を続けられたらいいなあと思いつつも、きっとこのままではまずいだろうな・・・という思いがつのっていく、そんな2011年の夏でした。