ブログトップ | ログイン

OuiOui

1年の総括・光の部分だけを。

12月に入って10日近く経ちます。
あと20日程度で大した進展もないと予想しているので
(あっても知ったこっちゃねえわなw)
ここらへんで、1年を振り返ってみようと思います。

・・・と書くと、暗い話で埋まりそうですが、
いいこともたくさんありました。
来年につなげる(つながる)ためにも、書き残しておこうと思います。

(かなりの長文ですので、興味のある方は下記「続き」をクリックしてください)



 めまぐるしい1年でした。3年分ぐらいは凝縮されたような感じです。

 1月から3月まで、はじめての「職業訓練」を受けました。

 鬱が完治していない中での「就職につなげるための」訓練、実際にはパソコンソフトのワープロ、表計算ソフトの活用を目的としていました。
 17人でしたでしょうか、学校で1日中パソコンと向き合いました。島人、移住者、老若男女、いろんな人たちと一緒に、朝から夕方までパソコンの勉強でした。
 インターネットで遊びもしましたが(笑)、ワープロの機能を十二分に駆使しての文書作成は、今まで同じワープロソフトを使っていた私にもかなり難しいものがありました。資格検定を受ける為に講習終了後も居残りしたり、土曜の休講日にも自主参加でプリントをやったりしていました。
 すべて自主的、でした。とにかく上達したくて、躍起になっていました。入力が時間内に終わらなかったり、間違えたり、要領悪い使い方に気づくと悔しい思いもしました。悔しかったのです。なので何度もチャレンジしました。タイマーも使って、自分で模擬試験もやりました。
 パソコンに集中しすぎて首筋が痛い日々が続きましたが、そんなこと気にせずとことんやり続けました。
 休憩時間の、受講生や先生のみんなとの会話は楽しいものでした。最初はいろいろ戸惑いもあったけれど、地域の話題に触れたり、変なものを食わされて早退したり、空いてる女性の席に座って至福の時を感じたりなど、隙無き「時間の楽しみ」を感じていました。
 2年少しいた奄美大島の生活の中で、一番充実していて、とにかく楽しい3ヶ月でした。
* 

 学校が終わる3月初旬から就職活動の準備に入り、「生活基盤を固めるたまには、本土(鹿児島)資本の企業を目指すしかない」と、たまたま株式上場企業2社を見つけ、面接を受けることになりました。この頃には鬱の症状もかなり薄らぎ、前向きに動けることはどんどんやりました。
 3月末に船で鹿児島市に上り、立て続けにその2社(ドラッグストアのチェーンと小中校向け予備校)の面接・試験。
 当時、私は職業訓練校での簿記授業(夜間)も受講しており、もし就職が決まらなくてもゆっくり勉強して簿記の資格が取れたら、それでもいいかな・・・と思っていました。
 ところが、1週間も経たぬ間に、面接を受けた2社から採用通知。ドラッグストアの方は沖永良部島の勤務であり、引越しが発生するのは確実、一方の予備校は奄美大島にも2教室あり、そちらへの配属になるか、鹿児島本土の学校所属で引越しの可能性もありました。
 いろいろ考えた末、経験のある販売業よりも、新しい分野に挑戦したいという意気込みから、勤務地も決まらぬ予備校へ入社希望の返事を出しました。

 それから10日程度は「引越しがあるかもしれないけれど、とりあえず仕事は決まった」という安心感の溢れる日が続きました。気候もちょうど若夏、清々しい「最後の(だと思っていた)無職の日々」を堪能していました。
 やがて予備校の企業から奄美大島での配属通知が入り、そのまま奄美に残ることになりました。昼夜間勤務となるため、簿記演習の講義は受けることが不可能になったため、惜しい気持ちを隠せないまま、少し遅く、訓練校を「修了」しました。

 仕事についてからの日々は、苦しい時間ばかりでした。奄美大島とはいえ、住んでいる名瀬市での勤務は週に1回で、あとは大島南部の瀬戸内町・古仁屋の教室がメインでした。長い通勤時間も、重圧になったのだと今更ながら思います。

 そんな古仁屋での仕事の中でも、悪いことばかりではありませんでした。「講師」としての仕事は全く機能していませんでしたが、自ら学び、生徒と享受して行く時間は、物凄く早く過ぎました。人気のある講師とは程遠い私でしたが、中には積極的に話しかけてくれる生徒もいて、ソレは楽しみのひとつでもありました。
 あと、授業のない日曜日の事務作業、終わったあとの夕方、バスの時間まで古仁屋の港町を歩いて「ひたってみる」、ちょっと哀しい気分にもなるけど、30分程度のその時間を、自分なりに大切にしてきました。

 結局8月末で辞めてしまったわけですが、その勤務最終日、つまり最後の夏休みの日、宿題を終わらせる為にやってきた生徒にアイスを配り、音楽を流して少しくだけた雰囲気でワイワイ楽しんでもらってる姿を見ることができたのが「まあ、4ヶ月だったけれど、いいか」という気分にさせてくれました。結局最後の日まで私が辞めることを告げることなく、古仁屋の町を後にしました。

 その8月のお盆前、職業訓練校の有志に混ぜてもらい、宇検村の花火大会に行きました。
 昼はビールを飲みながら焼肉を食べ、ちっともリレーにならないビーチバレーをやり、ふらついたまま無人島まで出向き、味があるのか分からないアダンの実を食べ、疲れたままさらにビールを両手に夜の海に上がる花火を、初めて会う村の人と話しながらボーっと眺めていました。
 仕事で疲れきっていてあまり元気なところを見せられませんでしたが、次にまた誘われることがあったら今度は笑って喋りまくってやろうと思います。そして誰もいなくなるわけですが(笑)

 9月・10月は仕事をする気持ちになれず、家にひきこもったままでした。
 ただ、9月は2年ぶりに1週間程度帰省しました。期間中、かつての勤務先の同僚との再会、インターネットでしか知らなかった人との初対面などを通して、内地に戻り気持ちを切り替える「可能性」に賭けてみよう、と思うようになりました。
 結果、10月末に単身奄美を離れ、再び仕事に就くことになります。
 そして現在に至る、と。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by OuiOui1974 | 2005-12-09 11:57 | ワタクシ的できごと | Comments(0)