令和がいい時代になりますように、と言われてから2ヶ月以上経過しました。
明るいニュースも入ってはきますが
大津市の園児交通事故、川崎市児童殺傷事件、そして昨日の京都アニメーション放火事件と
辛い事件・事故が後を絶ちません。山形・新潟の地震もありましたね。
元号や時代が変わろうとも、結局は私たちの思いひとつというか
どう生きていくか主体的に考えて
日々を過ごさなければいけないのかもしれません。
ただ、次の参議院議員選挙、意思表明としての投票行動をすべきかどうかとは
必ずしも直結しないのではないでしょうか。
選挙のたびに「必ず投票に行こう」とキャンペーンが打たれますが
僕は以前から「投票行くか行かないかは強制的であってはならない」、
投票に行かないのも意思表示だと考えています。
もし意中の候補者政党がハッキリしていて
自分の一票が必ず結びつくと信じられるのなら投票には行ったほうがいいし
知人や会社、団体で頼まれている候補へのお義理立てで
投票所に向かうのも尤もだと思っていますが、
逆に選挙に行かないのを
「権利不行使とは不見識だ」「政治を語るな」と批判するのは
あまりにも厳しすぎないか、と。
僕は以前いた村部で30分歩いて投票所に行きましたが
あれはお年寄りには酷ですし、
いくら不在者投票があるとはいっても
当選するかも分からない候補者のために時間を費やすことが
果たして価値あることなのか、
そもそも当選させたい候補者がいない(自分の望む政策を謳う政党がない)のに
何を書けばいいのか、白票入れて帰れってか・・・などなど
思い悩むことは、本当にないのでしょうか。
確かに有権者のうち10人に4~5人が投票に行かないってのは
あれだけ世の中が口煩く選挙に行こう、と喧伝しているのに
度胸ある人結構いるんだなと思わざるを得ませんが、
それでも「投票しない意思表示」を否定されるのはおかしいと思うし
言い続けるつもりです。
おそらく僕は今度の日曜日、投票には行きます。
お義理もあるし日曜なんて暇だし公民館も近いので
散歩がてら投票ぐらい負担ではないです。
ただ、行かなかった人には「そりゃそうだわね」と同意する、それだけです。