人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

OuiOui

10年前の記憶:会社合わんレクサス死ね

 岐阜・中津川のツマ実家に居候するようになったのが2008年(平成20年)の2月末。その当時は、あくまでも仮住まいのつもりで、ある程度経ったらまた別の場所に移るつもりでした。
 その頃は、なんとなく長野の駒ヶ根を思い浮かべていてあれはなんだったんだろうと思うのですが、結局今こうやって同じ南信地域の飯田に住んでいるあたり、おぼろげに真剣(?)だったのでしょう。


 さて、中津川にきて、どちらにしろとりあえず仕事、ということでハローワークの情報なども見ていたわけですが、「まずは以前もやっていた工場の仕事なんかはどうか」と家族に言われ、その3年前にお世話になった派遣会社に紹介してもらい、機械組立の仕事(期間工)をやることにしました。
 平日の朝勤(6:00~14:45)、夜勤(14:45~23:30)の週交代制。自動車のカーナビを組み立てる工程で、何か貼ったり取り付けたりをしていたはずです。それをひたすら繰り返す。正味7時間くらいだったか。
 前の職場では半導体のテスト作業をやっていて、あれはテストの種類がたくさんで時間に追われることが多く、けっこうしんどかったけど最後のほうはそれほど嫌々ではなく仕事できていました。
 それに比べて、このカーナビの職場はやることが限られていてしかも作業スペースが畳1枚くらいしかなくて、とても窮屈でした。もともと集中力が持続せず、ウッカリが多い人間なので、何度聞いてもミスするし、さして年齢も変わらない先輩からど叱られるしで、入って数日でやる気が目減りしていきました。
 休憩の食堂もグループで固まっていて(ベテラン組とか、外人組とか)別に一人飯は嫌でもないけど、談笑する集団に囲まれて静かにするのはかなりきつかったです。

 入って10日目の夜勤、一工程を飛ばすミスをして例のごとく上長に問い詰められ、うまく言い訳できないとさらに糾弾されて、ああ、こりゃもう無理だなと思い、休憩中にツマにメールで「ごめん無理」と伝え、なんとかその日は勤務終了まで居座りましたが翌日朝、派遣会社の担当に「嫌なんで辞めます、もう行きません」と言って辞めさせてもらいました。
 派遣の担当さんにはその数日前に「ちょっとついていけない」と相談したことがありました。今回やっぱり辞めると伝えて「お前ふざけんなよ」とか言われるかと思いましたが、慰留されつつも色々宥めてくれて、最後まで誠意を感じる対応をしてくれて、工場は最悪でしたが派遣にはそういう気持ちも持たずに辞めることができました。

 自分に合う仕事かどうかはやってみないと(そして続けてみないと)分かりません。今回だって職種は違えど工場勤務は経験があって、なんだかんだ言いながらもできるだろうと思っていました。仕事に自分を合わせることも肝心だと今でも思いますが、この組立仕事ばかりは例外でした。なお、この工場は2008年冬期以降、不況の影響で派遣・請負社員の雇用を打ち切ったそうで、どちらにしても僕があの工場で生き残る術はなかったはずです。
 販売、配達、講師、事務、そして工場と、社会に出て10数年の間に様々な仕事を経験して全て失敗し、もうどうしようかと思ってしまいました。次の仕事、あるのかな、と。ただそんな僕にもツマ実家の人々は「まあ、焦らなくてもまた仕事を探せばいい」と言ってくれて、本来なら「早く飯代払えボンクラ居候が」と思うだろうに、とりあえず引き続き食事を出して寝床を使わせてくれて、感謝するほかありませんでした。

 実は僕自身、退職の焦りよりは苦痛な仕事から避けられてホッとしていて、そんなに落ち込まずに済みましたが、記録によると退職を届けた当日にハローワークに出かけ、求職票をもらい応募しています。十分焦っていますね。結局その応募した設備業の会社に入社することになりました。工場を4月23日に退職して、5月の連休明けに転職したので、今回は無職期間が半月程度で(僕の中では)短いほうでした。

 心身のバランスを崩して2003年から2008年春(ほとんど奄美大島移住期間)不安定な暮らしをしていましたが、このころようやく長いトンネルの終りが見え始めてきた、という感じでした。

10年前の記憶:会社合わんレクサス死ね_c0057821_11004971.jpg

 これはその工場勤務2日目くらいに、駐車場へ戻る道にあった桜(当時の携帯の画像が残ってた)。


名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by OuiOui1974 | 2018-03-27 19:59 | OuiOuiAward | Comments(0)

常に出来心

by OuiOui1974