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10年前の記憶:奄美からの撤退


 10年前の今頃以降、奄美大島は天候が悪く、特に2008年(平成20年)2月は晴れた日が1ヶ月に2日程度しかありませんでした。
 そういった天候が影響してか、それまでなんとか持ちこたえてきた僕の心身が急激に悪化してきました。

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 おかしいなと思えてきたのが2007年(平成19年)10月に入ってから。仕事中、何をしているのか分からないまま過ごしてきて、そのままお客さんを抱えるようになり、これは始まりと終りがどこにあるのか、今やっている作業が正しいのか間違っているかも分からない。まるで大海原をコンパスの無いヨットで漂流するような思いでした。そうなると不安と焦りばかりが頭の中を埋めるんですね、気持ちが不安定になっていきました。
 朝8時半すぎに出社して終わるのが夜の8時くらい。たまに長い残業もありましたが、体感的に拘束されている感じは、それほどありませんでした。ただ・・・時間の締切だけが分かっていて刻々と迫っているのに、作業の流れが全くわかっていない、そんな中で一日中机に向かうのが、どんどん苦痛になっていきます。
 それならば、他の職員にアドバイスを仰げばよかったのです。職員のみんなは決して意地悪とか陰湿なものではなく、聞けば必ず教えてくれたはずでした。しかし、なぜだか僕は聞こうとしませんでした。聞いて職員の手を止めてはいけないと思ったのか、今更アレコレ聞くことはいけないことだと思ったのか。

 この頃、奄美に移って4年が過ぎ、島での暮らしそのものには慣れていました。

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 それは移住前に憧れていたような自然と共に暮らす、ゆったりとした時間を過ごすといったことではなく、少ない所得、高い生活費、ぼろい街並み、なにかと諦めがちな人々など、当初暮らしにくいと思っていた事象に慣れたということです。ナイナイ尽くしのなかで、色んな思いに揺れてよろめきながら、この天井の低い、狭い垣根の町でやっていくんだなあと他人事のように思い続けていました。島の外、県外に住む人の「いいなあ南国暮らし」という言葉、実態はともかく楽園的な島で生活しているという事実だけが、このときまで僕を奄美に留まらせていました。しかしそれも限界に近づいたというか、もう島とかどうでもいいやと思うほど、後ろ向きな気持ちに支配されていました。
 10月・11月・12月と時を進める以上に、加速度的に僕の具合は悪化を辿っていき、精神が悲鳴を上げ、失踪を画策(失敗)した挙句、島で3度目となった仕事も辞めてしまい、これでようやく奄美から出よう、移住生活を止めようと決心することができました。2007年(平成19年)の年末のことです。

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 奄美を出ようと決めたとき浮かんだのは、別に強く決心したわけではなく、もう島を出るしか残っていないんだな、というような敗北感にも似た、とても悲しい気持ちでした。人生に失敗はつきものだと言われても、この4年半でどれだけの失敗を凝縮したのだろうかというくらい。
 だけど、負け惜しみになってしまいますが、その当時も、10年近く経った現在も、奄美に移り住んだその事を後悔することは殆どありません。会社・職業選びには「入るんじゃなかった」「選ぶんじゃなかった」と思う後悔の念は多少ありますが・・・。移住前の仕事はきっと長続きしなかっただろうし、その後奄美でなくてもきっと実家から遥か離れた土地での移住生活を選んでいたと思います。これはもう、僕がそういう行動性の人間である以上選び続けるだろうな、と。
 奄美での生活が糧になったかどうか、島を離れることを決めたときにはさすがに判断がつかなかったと思いますが、辛い思いをした割に「島に来るんじゃなかった」と考えていた記憶は、意外にありませんでした。
 これは偶然かもしれないけど、もし後悔ばかりしていたら一緒についてきてくれたツマに言い訳のしようもなくなっていたのだと思います。僕が逆の立場だったら半殺しにしているはずで、とりあえず後悔はしなかった、と言えたのは本当によかったと思います。


 このブログも奄美に来て1年半が経過した2005年(平成17年)2月に始めました。あの頃はブログってなんだ?というのを島で知り合った方に紹介してもらって始めたものです。島に来てからの出会いも多く、人との距離感が分からず付き合いに困るだろうなあという僕にも楽しく優しく接してくれたことは嬉しいことでした。

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 あと、近所に住んでいたポメラニアンを勝手にアランと呼んで以降現在まで、中津川だろうが飯田だろうがポメラニアンを見かけるとアランと呼び続けています。もしあの時、あのポメラニアンと出会っていなかったらアランとか言ってなかっただろうなあ、と思うと、奄美がどうこうではなく、その時、その場所での出来事や思い付きが今もなお生きつづけるって、面白いことだなって思います。

 10年前を振り返る記事を書くときは、次からは出戻った岐阜県、中津川市からになると思います。中津川に戻ったのも割と最近だと思っていたのに、あまりに早い時の経過に驚くばかりです。

Commented by 元 奄美ぐらし at 2020-06-24 02:18 x
少ない所得、高い生活費、ぼろい街並み、なにかと諦めがちな人々
って良いですねw

私も数年前に一年ほど移住し、結局島ぐらしが嫌になり
内地に戻りました。

同じような思いをされている方を見つけ、残念ながらも
嬉しく感じコメントを残させていただきます。
Commented by OuiOui1974 at 2020-06-24 08:49
コメントありがとうございます。数年前に書いた記事ですが読んでいただけて嬉しいです。
私は島を離れる半年前に「家とか検討したほうがいいのかな」とか考えていたような人間なので、自分の人生計画の無さを棚に置いて島暮らしは無理やとか書いても説得力はないような気がしますが、それでも奄美は移住されたどの方にとってもハードルの高い場所なんだろうなと思います。
もっとも、この記事にも書いた「失敗だったけど後悔はしていない」というのは本音で、今も彼方此方で「僕奄美大島に住んだことがありますよ」と話すと驚いてネタになるという意味ではよかったかな(笑)
島から離れて12年経ちますが、旅行を含め一度も戻ったことがありません。別に嫌いになったというわけではなく単に時間とお金がないだけですが・・・海辺よりも、住んでいた場所近辺を歩いてみたいという思いは残っています。
長くなりすみません。
Commented by ちかげ at 2021-02-25 23:18 x
記事を読みながら、写真で見せていただいた奄美の海を思い出して、少ししんみりしてしまいました。
Commented by OuiOui1974 at 2021-02-26 23:01
当時の混沌とした状況を書き表したという意味で当記事は「唯一自画自賛できる」内容だと自負しておりますが、そんなことよりも、当時はお恥ずかしい姿もお見せして失礼しました。この記事にもあるとおり、当時自己コントロールが効かなくなって家出の準備をしたりしていました(そしてぶん殴られました)。脳がフリーズするって本当にあるんだなと思いました・・・死ななくてよかった、とちょっと本気で振り返るくらい。今はおかげさまで強かに生き延びております。いつも応援?ありがとうございます☺
Commented by 離島移住者 at 2023-02-21 14:09 x
離島は降雨が多く 雨雲レーダーでは晴れていても降ってています。 10数年まえから中国からの大気汚染物質がくるので 海の色がさえません。特にサンゴ礁の色が落ちています。 空もスッキリ晴れません。
観光客には 分からないでしょうが住んでいると空気や景色が悪いのでつまらないです。羽田から石垣島へ
着いたら空気が凄くまずくてびっくりしました。むかしは中心部でも空気がとてもおいしっかたのに残念です
離島の変化はすさまじく 県庁所在地より超高速で変貌します。風情がまったく消えました。
Commented by OuiOui1974 at 2023-02-21 17:43
コメントありがとうございます。奄美大島に関していうと日照時間の短さが顕著で天候が安定しない(特に冬期)記憶がありました。晴れていても薄雲が張っていて海の色が映えないなあって残念がっていたのを思い出します。雨が多いことが自然の豊かさをもたらしているのかと思うと道理なのですが、個人的には晴れの多い場所のほうが今は好きです。島から離れて15年以上経って、僕自身考えも随分変わったなって思わされました。
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by OuiOui1974 | 2017-11-08 20:41 | 今までのまとめ・回想録 | Comments(6)

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