2016年 05月 04日
花束を君に
2003年(平成15年)の僕の日記にこんなことが書いてありました。
■2003/08/05 (火) 臨時ドライバー
昼前、暑さにやられてくたばっているところに
内線が鳴る。離れ家の祖母からだ。
買い物したいからスーパーまで乗せてほしい、と。
私も出かけるところだったので準備する。
車に乗って待っていてもなかなかこないので
離れへ迎えに行くがいない。
どこいったんだオイと思ったその時
クラクションの音が。
戻るとすでに祖母は乗っていた。
一体どこですれちがったんだ??暑さにやられたか自分。
スーパー到着、
郵便局に所用のある私は
「ばーちゃん、スーパーん中で待っててくれ」と頼んでおき
祖母を下ろす。
スーパーに戻ってきた。祖母がいない。
確かに広い店なのだが棚を隈なく回ってもみつからない。
祖母のクローンならいるのだが・・・
ばあさんってのはみんな同じに見える。
探すのも面倒になり「どうせ外にはいないだろ」と思い
自分の買い物を優先した。
レジも通り袋詰めしながら
店の隣の薬局をのぞくと、祖母がいた。
スーパーにおれって言ったじゃないか(泣)
そしてその薬局に入ったとたん、また姿を見失った。
再び棚を巡っていたが一巡してようやく発見。
あんまりチョコマカ動かないでくれ・・・。
「ばーちゃんスーパーはもう行ったのか?」
「いや、これから」行ってなかったのかよ。
アイスを10個買い込み退店。
レジ前にあるのに問い合わせするな。てかまずは俺に聞け(泣)
祖母85歳。
この日記は13年前のもので、当時僕は本屋を辞め奄美大島に行く直前で
ただの無職生活をしていました。
この頃、祖母は徒歩でスーパー行けるぐらい健在でしたが
その後も直近まではそこそこ元気でした。
今年1月に会った時も口は達者で、最後まで恙なく過ごせていました。
向こうの世界というのがあったとしたら
祖母は8年前に先だった祖父と再会しているかもしれません。
ああ、あんな威張ったジジイは嫌だろうにと思うのですが
マイペースな婆さんだったので、どうにかなるんでしょうなぁ。
大学芋をよく作ってくれたのが懐かしい思い出です。名前が東京ポテト。


本文にもあったとおり、祖母はあの年まで生き永らえることができ、
また多くの方々に見守られながら送り出すことができて
よかったと思います。
棺の前で酒飲みながらワハハハハとかやってるときは
さすがに祖母も「うるせえよ」って顔をしてたようにみえましたがw
今頃はあっちでいろんな人に久方ぶりの再会でもしてるのかなあって、ちょっと想像してみました。