2012年 10月 20日
故郷の外で暮らす、ということ
このブログを前から読んでくださっている方や
直接ご縁のある方はご存知のとおり
私は岐阜県の出身で
学生までの間と、仕事についていた期間を合わせて30年近く
岐阜と言う場所(正確には土岐市と中津川市)で生活してきました。
そして途中、
愛知県(名古屋市及びその周辺)
鹿児島県の奄美大島
さらに短期間ですが長野県諏訪地方(諏訪市・富士見町)でも生活しました。
現在いるのは、長野県飯田市です。
*
ブログでは
「奄美大島での移住生活経験がある」というのを
やや強調していたりします(実際、ブログを始めた2005年2月は奄美にいました)が、
実際には実家暮らしは22歳までで、
以降17年近くは彼方此方を転々として暮らしています。
奄美が3年半、名古屋周辺が4年半、岐阜中津川が5年半、諏訪は9ヶ月。
飯田はもうすぐ1年になろうとしています。
このように
若干いびつなルートですが、一つの場所に定住することなく過ごしてきました。
それぞれ、仕事関係(転勤)での転居もあれば
まったくの新天地探しだったこともあります。
よかったかどうか それは今回は触れませんが、
事実として「故郷の外で暮らす期間はそこそこ長い」ということになります。
ただ
確かに故郷の内外を問わず
生活の起伏が激しかったのは、奄美大島での生活がダントツだったと思います。
先ほど3年半と書きましたが、途中信州諏訪に単身出戻りをした期間は含まれていません。
これを入れると約4年半。
その間に4つの仕事を経験し、概ね失敗に終わっています。
この件についても、機会を改めて触れようと思います。
いろんな町に住んでみて、実感するのは
「わざわざ故郷から離れて生活をする人は少ない」ということです。
いてもせいぜい転勤者ぐらい。
確かに地縁のない場所で生活を築いていくのは簡単ではありません。
もちろん一方で
「それもまたよし」と思えるからこそ移り住むもの、だと思います。
*
以上、長くなりましたが
これをプロローグとして、
「故郷の外で暮らす」とはどういうことか
今後、折を見て触れていきたいと思います。
直接ご縁のある方はご存知のとおり
私は岐阜県の出身で
学生までの間と、仕事についていた期間を合わせて30年近く
岐阜と言う場所(正確には土岐市と中津川市)で生活してきました。
そして途中、
愛知県(名古屋市及びその周辺)
鹿児島県の奄美大島
さらに短期間ですが長野県諏訪地方(諏訪市・富士見町)でも生活しました。
現在いるのは、長野県飯田市です。
*
ブログでは
「奄美大島での移住生活経験がある」というのを
やや強調していたりします(実際、ブログを始めた2005年2月は奄美にいました)が、
実際には実家暮らしは22歳までで、
以降17年近くは彼方此方を転々として暮らしています。
奄美が3年半、名古屋周辺が4年半、岐阜中津川が5年半、諏訪は9ヶ月。
飯田はもうすぐ1年になろうとしています。
このように
若干いびつなルートですが、一つの場所に定住することなく過ごしてきました。
それぞれ、仕事関係(転勤)での転居もあれば
まったくの新天地探しだったこともあります。
よかったかどうか それは今回は触れませんが、
事実として「故郷の外で暮らす期間はそこそこ長い」ということになります。
ただ
確かに故郷の内外を問わず
生活の起伏が激しかったのは、奄美大島での生活がダントツだったと思います。
先ほど3年半と書きましたが、途中信州諏訪に単身出戻りをした期間は含まれていません。
これを入れると約4年半。
その間に4つの仕事を経験し、概ね失敗に終わっています。
この件についても、機会を改めて触れようと思います。
いろんな町に住んでみて、実感するのは
「わざわざ故郷から離れて生活をする人は少ない」ということです。
いてもせいぜい転勤者ぐらい。
確かに地縁のない場所で生活を築いていくのは簡単ではありません。
もちろん一方で
「それもまたよし」と思えるからこそ移り住むもの、だと思います。
*
以上、長くなりましたが
これをプロローグとして、
「故郷の外で暮らす」とはどういうことか
今後、折を見て触れていきたいと思います。
by OuiOui1974
| 2012-10-20 18:34
| ワタクシ的できごと
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