2010年 11月 16日
はるか、メソポタミア
人並みに泣き虫で、
特に小学生の頃までは本当によく泣きました。
隣の席の女子に怒られまくってよく泣かされて
先生にまで心配される始末。
「このブスが!!」と言い返す勇気は、これっぽっちもなかったですね。
家でも泣かされて泣かされて
ついにつけられたあだ名が「メソポタミア」。
ひどいもんで、こっちは真剣に泣いているのに
「まーたメソポタミアがはじまった」などと笑ってるんですよ。あいつら人でなし。
*
さて、今僕は2DKという檻で
キキーッギャーッという奇声を発する動物と共同生活しているんですが
その動物よりもさらに大きい声で
隣の御宅から、ほぼ毎日悲鳴スレスレの泣き声が響くんです。
2,3歳ぐらいの子みたいなんですが、
滅茶苦茶暴れてる感じもするし、ホントにすごい。
そんでしばらくするともう機嫌を直している。歌いまくる。そしてまた泣く。
うちのアパートは、基本隣室との距離はある方だと思うんですが
もうお構い無しに泣いてます。
いつからか、我々の隠語で坊のことを「メソポタミア2世」と呼ぶようになりました。
さっきもすごかったんですよ、破壊力抜群で。
まあ、あんまり特定的なことも書けませんが
ご家族の心境を察するに余りあるというか。
夜中に泣くわけじゃないし、迷惑に思ったことはないんですが
メソポ(略)のサイレンが響くと
「今日は公園禁止令が出たのか?」「シャボン玉禁止令か?」と
我々も身構えるんですね。いや聞こえてくるもんだから。
俺様はメソポ2世ほど泣かなかったと思うんだが・・・あとあんなに能天気じゃなかったな。
「泣く子は育つ」と言うけれど
実際はどうなんすかねえ。僕は体重以外は成長しなかった。
2世は将来
ポエトリーリーディングとかやると売れるかもしれない。叫ぶ詩人の会。
世界史の世界を想起いたしました。
そして、ご本人は大変不本意でしょうが、「あだなを付けられる」というのが私にとっては羨ましいです。
親から名前で呼ばれた経験も乏しいので、私のコンプレックスはそのあたりにも関係していそうです。
しかし、「真剣に泣いている」「のに」
一括りにされる切なさ。
一泣き毎に必ず成長していると私は思いたい。
「また一括りにされた」という切なさの涙のモデルみたいなものも悲しいかな作られたかもしれませんね。
「学習」「強化」
お隣のお子様の様子。
我が住宅の上の階のお子様達も時として非常に(異常に?)賑やかな音がいたします。
やはり、慣れない初日が「歓迎」かのように最強でした。
「最初が肝心」という方針なのか、1発目に最強な「メッセージ」(彼らの場合は暴れる振動と言いましょうか)を伝えておくことで日々の「振動」は「些細な物音」として受け流すようにヨロシクみたいな。
挨拶の時に、柔道だか合気道だか空手だかその類の道着を着用したご子息2名と対面していましたので「上はもしかしたら道場なのか?!」と思ったくらいです。
真夏喉がカラカラの時にビールを飲むと涙が出るのは
メソポタミアのせいなんですね。自己完結。
僕は隣人の声というとギシアンしか浮かばなくて
遭遇した時は感動モノでしたが
さすがに真夜中そればっかりだと呆れる他ありませんでした。
子供の声は、意外と気にならないものですね。
僕も大人になりました。