2009年 04月 04日
初アルバイトは苦い思い出
目が覚めるとそれ以上眠れんのよねえ。
そうそう、「my sweet school days」を半年振りに更新しました。
なんかジャンプでいう富樫並みの放置っぷりでしたが
神出鬼没、ときおり浮上して書いていこうと思いますので
よろしくお願いします。
ガッコブログに書こうと思った話が別にありましたが
今日はこちらに書いてみます。長いですけどよかったら。
*
話は、大学合格発表直後の2月末にさかのぼります。
時間も空くし、そろそろ自分の自由に使えるお金がほしくなり、アルバイトをやりたくなりました。発表の日の夜、同じ大学に行く同級生の家に行った際「俺は隣の町の洋食屋でバイトするんだ。お前もやれ」と誘われて、まあ最初はそんなのでもいいかあなんて思って、2,3日したあと、そのお店に行き、バイトで雇って欲しいとお願いして、採ってもらうことになりました。
総合病院近くの、閑散とした道沿いにある、テナントが連なる中の小さな洋食屋でした。そこで、皿洗いを中心に、料理の下準備なんかが僕の仕事でした。週に2回、夕方5時からだいたい9時まで。
これがどういうわけか、全く動けないんです。次に何やったらいいか、この料理の皿はどれだとか、ライスの量はどうだとか、何回やっても身につかない。店のマスターも優しくはないので、とろくさいことをやってるとすぐ怒られました。掃除の時もそうでしたが、全般的に要領が悪くて、いつもそれを指摘されてました。
もう、嫌で嫌で仕方がなかったのですが、仕事が終わった後に出る「まかない」が異様に美味くて、それを食ってる間は忘れちゃっていました。洋食屋なのにウドンがすんげい美味いの。
マスターは職人気質で、仕事中はかなり怖いけどそれ以外ではそうでもなく、まあ普通に話せました。ただ、もう見た目が強面なのでこちらからフランクに話す、ってことはなかったです。
あと、僕は調理補助よりもホールスタッフのほうがよかったんですが、一応そちらは奥さんと女性アルバイトの仕事だったので無理でした。女性スタッフは可愛い人がいたけど、その人がいた時は僕は「とちって」ばかりでどん臭かったです。もう1人はなんつうか、僕の中学ん時の部活の1つ上の先輩で、中学当時は話もしなかった筈なのに向こうが妙に覚えていて、まあノーマークな先輩だったんですが、どういうわけかこの先輩と組む日は仕事のミスが目立たなくて楽でした。
キッチンはマスターのほかはアルバイト1人なので、例えば僕と先述の同級生が一緒に入る事はありませんでした。あいつは要領がいいのか、会うたびに楽しそうに仕事の話を自慢げに喋っていました。自慢戦隊所属で話が長いので正直ムカついていました。
アルバイトも1ヶ月半ぐらい経っても全く進歩が無く、大学での行事も多くなってきたこともあって、僕はバイトを休みがちになりました。なんか行きたくなくなって。給料も激安で(時給は確か550円?)週2で4時間程度だと、月で2万円行くか行かないか、でした。それでもってたいして面白いと思わず仕事してても窮屈なだけだ、そういう気持ちが支配していました。
結局、4月の連休前に直接店に行き、「ついていけない」という話をして辞めさせてもらうことにしました。お店からしてもすぐサボるし仕事はできないしで、厄介な存在だったはずで、2つ返事で了解してもらいました。
それからいろいろなアルバイトを探して、家庭教師とか展示場の売り子とか細々とやっていましたがどれも不安定なものばかりで、結局12月に安定的な仕事につけるまでは苦労しました。
辞めた洋食屋ですが、とにかく味はピカイチで(高いけど)、時折食いにいきました。自分が辞めてから数年後に、長屋から出て近くに一軒家のお店を出しましたがそれからは行っていません。現在でも営業しているはずです。店の見えるところで怒鳴りあいの夫婦喧嘩ばかりしていましたがアレはまだやってるんでしょうかねえ。客に井之頭五郎さんが行ったらアームロックをはめられているはずです。それ以上いけない。
今、我が妻が飲食系のパートをやってますが、大して客の入りが多くなかった僕の場合でもすぐ白旗でしたから、よくやるよ、と身内ながらに感心します。
というわけで、4月のこの季節になると、あの洋食屋のアルバイトのことを思い出しては、やれやれアレは美味くいかなかったなあ、と小さな後悔をするのです。