2005年 03月 10日
小さな学校の休校
今年度を以って休校するそうです。
現在小中併せて7名の児童生徒。
全て「里親制度」によって日本各地からやってきた子供たちです。
しかし、来年度の里親制度希望者がゼロ、
現在の児童・生徒も全員転出を希望していることで、
ついに通学者がいなくなり、今回の措置となりました。
管鈍小中は瀬戸内町の中心・古仁屋(こにや)から40km近く離れた
3つの集落(管鈍・西古見・花天)を範囲とする学校でした。
1950年代には小学校だけでも170人いた生徒も
平成の時代には小中で一ケタにまで落ち込みました。
やがて地元の子供はいなくなりましたが
先述のとおり、留学里親制度で全国からの受け入れによって
なんとか学校を存続させてきました。
瀬戸内町では嘉徳・古志に続いて3校目の休校となります。
(以上は3月10日付大島新聞を参照)
*
私は名瀬市の近郊部に住んでいて
近くにある奄美小学校や名瀬中学校などからは
「フツーの地方の学校」な雰囲気だけが伝わりますが
少し離れた場所に行くと
殆どの学校が学年一ケタだったり学年複式学級だったり
果ては小学校も中学校も併設だったり(そしてそれでも1ケタなど)。
そういう場所に入った途端、
空気がゆっくり流れます。
今は学校に行く用件が無くなってしまったので
最近の事情は分かりませんが
暖かくなったら各地の集落に訪れて、
学校の周辺を歩いてみたいです。
怪しい人間に思われないように。
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管鈍小中だけが例外ではなく
特に瀬戸内町の多くの学校は存亡の危機にあります。
里親制度だけで乗り切ることも、
ましてや島の外に出ようとする家族を止めるなんてこともできません。
だけど、
その集落に住む人たちにとって元気の源となっていた学校は
私たちの想像以上に、存在の大きいものだったんだろうと思います。
またいつか、子供たちがこの島、集落にやってくることを私も願いつつ。