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 10年前の今頃以降、奄美大島は天候が悪く、特に2008年(平成20年)2月は晴れた日が1ヶ月に2日程度しかありませんでした。
 そういった天候が影響してか、それまでなんとか持ちこたえてきた僕の心身が急激に悪化してきました。

朝仁峠・名瀬隧道
 
 おかしいなと思えてきたのが2007年(平成19年)10月に入ってから。仕事中、何をしているのか分からないまま過ごしてきて、そのままお客さんを抱えるようになり、これは始まりと終りがどこにあるのか、今やっている作業が正しいのか間違っているかも分からない。まるで大海原をコンパスの無いヨットで漂流するような思いでした。そうなると不安と焦りばかりが頭の中を埋めるんですね、気持ちが不安定になっていきました。
 朝8時半すぎに出社して終わるのが夜の8時くらい。たまに長い残業もありましたが、体感的に拘束されている感じは、それほどありませんでした。ただ・・・時間の締切だけが分かっていて刻々と迫っているのに、作業の流れが全くわかっていない、そんな中で一日中机に向かうのが、どんどん苦痛になっていきます。
 それならば、他の職員にアドバイスを仰げばよかったのです。職員のみんなは決して意地悪とか陰湿なものではなく、聞けば必ず教えてくれたはずでした。しかし、なぜだか僕は聞こうとしませんでした。聞いて職員の手を止めてはいけないと思ったのか、今更アレコレ聞くことはいけないことだと思ったのか。


(このあとも長いので続きはこちら)
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by OuiOui1974 | 2017-11-08 20:41 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)
2007年(平成19年)の夏
まだ僕たちは奄美大島にいました。
何度も繰り返してきた転職3回目も数ヶ月経ち、
確か夏ごろまでは時間社員扱いで
土日祝日も休めて、無理なく働くことができていました。
仕事の範囲もそんなに広くなかったし。
6月から働いていましたが、確かほぼ1年間無職状態だったからか
働けることの喜びを”まだ”噛み締めていたのです。

喜びはまた
この夏もまた奄美に居る事ができたことにも向けられています(上のブログリンク参照)。
極端に言えば、夏の奄美大島を過ごすことが
この島に移り住んだ最大の目的だったのです。

4年目の奄美大島も、夏の色が濃かったです。

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残念ながら楽しい時間は夏までで
翌年2008年(平成20年)2月には奄美を離れることになります。
その辺はいずれまた触れるかもしれませんが、
当の本人も
この時はまさかそんな急降下な体験をするとは思わず
南の島での生活をめくっていました。

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by OuiOui1974 | 2017-07-15 17:33 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)
10年前は、2007年(平成19年)になります。
10年というと長いですが、2007年というと、そんなに昔の話には思えません。
安倍さんが10年前も総理大臣やってたぐらいですしね。
それでも、10年前は僕は奄美大島に居たので、一昔前だと言えばその通りなのでしょう。
2008年早々に島を離れたので
実質2007年が奄美移住最後の年だったと言えるのかもしれません。

2006年7月から2007年5月までの長い間、無職でした。
2007年2月はちょうど日商簿記2級、建設業経理士2級の受験対策をしていました。
3月まで就職活動もしなかったので
まともな社会復帰活動としては試験勉強しかしませんでした。
簿記試験は決して難解なものではありませんが
仕訳や計算が独特で、相性の良し悪しはあります。
僕はというと、相性は悪いほうだった(と思う)ので
時間をかけるしかありませんでした。
仕事をしていないので時間はたくさんあって、毎日3時間~5時間程度勉強しました。
実質的な対策期間は3ヶ月で、3時間以上というのは時間をかけすぎだったのかもしれませんが、
よくもまあ根気よく続いたものだなあと思います。
試験勉強も、そのあとの就職活動もそうですが
これからの未来を切り開くための準備をすることは、非常に気持ちのいいことでした。

「一寸先は明るい」
それを信じて、2月末の試験に臨もうとしていた、10年前のことでした。

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by OuiOui1974 | 2017-02-04 06:44 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)
ブログとFacebookを見返して、自分の備忘録として書き留めてみます。


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家を購入しました。
約20年落ちの平屋ですが角地なので窮屈さはないです。
小さいけど、2人なので十分。逆に使いようのない裏庭をどうするか思案中。


2016年6月12日

見向きもしなかった草花にも目が行くようになりました・・・が、
何をどう育てていいのかまったく分からんのです。面倒だし。
この辺はあんまり変わっていない。
写真はヒメイワダレソウ。雑草を駆逐して増殖するグラウンドカバーですが
かわいい花も咲かせます。愛称はひめ子。

自治会、青年会に加入したので、地域行事に出るようになりました。
もう色々が革命的大転換。僕はこんな人間じゃなかったのに。
今は前向きにとらえているつもりです。お酒飲めるしね。


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引越しして間もなく、実家の祖母が他界しました。
この写真は2008年、祖母がまだ現役バリバリのババアだったころの離れ。
この離れも葬儀後に解体されました。僕も子供のころ住んでいた、懐かしい場所です。
葬儀関連の流れが、飯田下伊那のそれと違うのに戸惑いました。
比較的狭い地域単位で(もちろん宗派によっても)違うのは承知していましたが
そんなものなのですね。冠婚葬祭に戸惑わないよう勉強します。


2016年7月17日

大相撲名古屋場所に行きました。御嶽海が負けてがっかりでしたが面白かったです。
ただ、夏の名古屋は湿度が半端ないですね。グッタリしました。

今年は旅行そのものが近距離ばかりで物足りなさが残りました。
遠けりゃいいのかというと、そうだと答えます。
どのくらい住んでいるところから離れられるか。僕は重要な物差しだと思っています。
来年こそは、行事の合間に、なんとか・・・。

会社勤めも6年目に入りました。
こんな根無し草みたいな男でも仕事が続いているのは我ながら不思議です。
総務の仕事、経理の仕事の技術を向上する体験がなかったのが残念。
一方で、サービス部門(というのも担当してる)では
雇用トラブル・犯罪・事故対応など、なかなかスリリングな体験ができて
正直もう勘弁と思うものの、これからに繋げられたらと思っています。


そういえば競馬、やめちゃったな・・・競馬資金が底をついたのだ(負けっぱなしで)。
やっぱり所詮ギャンブルだなと思いながらも、馬は男のロマンだしなあ・・・。
また気が向いたら再開したい、という程度です。

長くなりましたが、また少し続きます・・・と書きましたが
やっぱりやめます。
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by OuiOui1974 | 2016-12-18 09:41 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)
1月1日に立てた「1年の計」を振り返りつつ。

・関東首都圏を含む東日本(山梨を除く)に行く
できませんでした。今年は長野愛知くだらない岐阜の3県内をウロウロするだけ。
来年こそは関東に行く。意地でもいく。

・模型を2つ以上製作する
2016年1月4日

2016年2月13日

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写真がないけどこの他にかやぶき小屋Part2を作ったので、4件製作。
次回は少し趣向を変えてもう少しモダンなものを作ってみたいです。

・前月比体重を300g落とす
逆に太った。酒のせいです。肝臓が異常。
今は週4日飲まないのを続けられるか、頑張り中。頑張るっていうレベルではないが。

・ふぐ・鹿・イノシシを食べる
イノシシはこれを食べました。
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実はよく覚えていない。あっさりしていたらしい。
鹿もどこかで食べた。カレーに入っていたそうです。覚えていない。
ふぐは食べていないので、来年に持ち越します。涙。

・32型テレビを買う
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シャープのアクオスを買いました。オリンピック直前に。
4Kとか見るのは2024年のパリオリンピックになると思います。
※開催地は決定していません。ブタペストかロサンゼルスかも分からん。でもパリだろ?

来年も5つくらい目標を掲げて
実施率80%を目指します。東京でふぐ食いに行けば2つはリベンジできるな・・・。
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by OuiOui1974 | 2016-12-18 08:47 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)
2006年7月13日


2006年(平成18年)7月、
それまで期間限定で住んでいた長野県諏訪郡富士見町から
奄美大島に帰りました。
名古屋、高槻(大阪)で宿泊を挟んで、伊丹市の大阪空港からの直行便で
奄美大島へ。
あの時の昂揚感、ワクワクする感じは今でも忘れません。
タコむす(タコ焼きと天むすを足して2で割ったようなやつ。美味)をおみやげに。


2006年7月16日


奄美に帰ってきたのはいいのですが、仕事を決めて帰ってきたわけではないので
とにかくやることがありませんでした。
そもそも、最初に奄美に来た時も仕事を決めてIターンしてきたわけじゃなくて
大胆極まりないなあと思うんだけど
また戻ってきたときも仕事なしのままで
僕は大人として重要な部分が決定的に欠落していたのです。
そして、その頃はそれほど気にしていなかったのも、すごい。パーフェクト馬鹿ですね。


2006年7月17日


もともと富士見町で働いていたときは固定夜勤(夜7時~朝7時半まで)で、
併せてツマも奄美で固定夜勤だったために
戻った当初は
元の朝起きて夜寝るというライフサイクルには戻せず
それまでどおりの夕方起きる→夜更かし(時々寝る)→昼前に寝る→繰り返し、という
めちゃくちゃな生活を続けていました。
それが徐々に矯正されて元通りになるのに半年はかかりました。

最初のうちはまだ寝なくても元気があって
天気の良い日は海に出かけていました。1人で。


2006年7月27日


2006年7月27日


奄美市名瀬の大浜海浜公園は、家からも割と近くて(車で15分くらいはかかったけど)
よく行きました。
ただ、戻った当初は、こういった青い海にひかれて行っていただけだったのが
やがて、穏やかな雰囲気のある夕方とかに訪れて
ボーっとするのが楽しみになっていきました。
その辺の話は、またいずれ。

とにかく、働かずブラブラするばかりで、何を考えていたのか、今でも思い出せません。
もう一回簿記の勉強でもするかあとか、そういうことはあったみたいです。
仕事は、しばらく止めようかなって思っていたらしい。

今普通に働いていて、あの頃平日昼間っからぼけっとしていたのを
懐かしいと思う時もありますが、そういった過ごし方に戻ろうとは思わないです。
思ったら危険だわな。家買ったし。
ただ、僕の人生の中で多々あった「ちょっと一休み」の時間が
僕自身に余裕をもたらしたのは、確かなことだと思います。
もちろん、ツマとか家族にはたくさんの迷惑をかけた。人には勧められない。

もう10年かぁ・・・あの頃は
こんなやつもいたなあ↓
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by OuiOui1974 | 2016-07-02 20:14 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)
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たまに僕自身も忘れますが、奄美大島にいた僕は、鹿児島県民でもありました。
西郷さんとか五代様とかナガブチとかがいた、九州南部の鹿児島県です。

そうはいっても、普段は離島で生活していて
これといって「俺様は鹿児島県民!」という自覚を感じることはあまり無かったです。
鹿児島本土に滞在したのは4年半のうち4回(日帰りか1泊程度)。
同じ県なのに飛行機で1時間、船だと12時間(船中泊)かかる、遠い場所でした。


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実際に行ったのは鹿児島市内中心部と、知覧町、それに合併前の姶良町。
鹿児島中央駅と天文館のアーケードが意外に離れていました(それでも1km程度ですが)。
新しい市電が走り始めた頃で、町の古めかしさはなかったです。
あまりグルメ探訪的なことはしなかったので、その辺は覚えがありません。

テレビやラジオは本土も離島も同じですから、その辺の情報だけが「鹿児島的」でした。
ラジオに関しては鹿児島のFM局(μ-FM)は離島では聴けません。NHK-FMも弱い。
AMのNHKとMBC(南日本放送)のみ。
MBCをよく聴きました。
たんぽぽくらぶとか城山すずめとか
実際はあまり共感しにくい内容の番組ばかりだったけど
それでも毎日営業車(に乗っていたときもあった)で聴いていました。
野球は巨人押しでしたね。
あんまりソフトバンクって感じじゃなかった(杉内は鹿児島だっけ)。
サッカーはあんまり話題に上らなかったな・・・。
テレビはケーブルを引いていたため
今で言う地上波放送はNHKくらいしか見ていなくて
民放局の名前は覚えることができませんでした。
KTS(フジテレビ系列?)のローカルタレント・タマリ氏は知ってます。
再就職セミナーの講師だったので。
あと、NHKの地域ニュースでお便りを投稿して読まれたのがいい思い出です。
薩摩狂句という意味不明なコーナーもありました。
「嫁入(よめい)の日 薩摩大根(でこん)を 姑(しゅと)と食っ」
これは今考えた薩摩狂句。マニアが見ていないことを祈る。

薩摩狂句は極端だけれど、鹿児島弁も奄美方言とは別の意味で強烈でした。
イントネーション全体が独特。
戦後、鹿児島本土出身の教員が奄美に赴任すると
児童生徒に奄美方言を使わないよう矯正させていたそうですが
言えたタチかよと思います。

さっきグルメは覚えていないと書きましたが
かすたどんは好きでした。かるかんは知らん。白熊も現地で食べた覚えがない。
あとは別に鹿児島で食べなくてもいいようなものだったな。
きびなごは好きじゃなかったし・・・鶏刺しは好きだったけどあれって宮崎?鹿児島?

タイヨー、だいわ、ミドリ薬品、エブリワン、ドラッグイレブン、ニシムタ、ジョイフル・・・
この辺は鹿児島というか九州中心のチェーンで、島でよく使いました。
本土とは関係ないかもしれないけど。

懐かしいというか、そうでもないというか
やっぱり鹿児島県に住んでいたというのが不思議ではあります。
免許も車のナンバーも郵便物もちゃんと鹿児島って書いてあったのにな。

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by OuiOui1974 | 2016-03-30 19:42 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)
2006年(平成18年)の春夏の話をしようと思います。
これが10年前の話だとは、ちょっと考えられないほどになりました。
このブログも1ヶ月に50件くらい書いているときもありましたが
その最盛期が、10年前でした。

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その頃僕は、長野県の富士見町という、山梨県との境にある町にいました。
標高1000m以上の場所で、冬はとんでもなく寒いです(雪はそれほど多くない)。
棲家が自然のなかにあって、それはいいのですが周りは野原だけです。

仕事は半導体工場の期間工。オール夜勤でした。
奄美大島にツマを置いて、自分だけで戻って単身「出稼ぎ」。
その辺の話はそれこそ過去記事に詳しく載っているので割愛しますが
短期間とはいえよくやったものです。今じゃあ考えられない。

先述の棲家というのは、単なる会社の寮で
普通の1Kアパートでした。6帖。
狭かったけど1人だったしモノも少なかったしで、そんなに窮屈ではなかったです。

食事に困りました。車がないので買出しは週2回スーパー行きのバスが頼り。
これを逃すと、自転車で30分かけていくか、10分歩いてコンビニ(ファミリーマート)に行くか。
コンビニなんて高いしモノも限られているしで、とても毎日は無理です。
それでも食糧が底を尽くので、カップめんやレトルトなどの保存食に手が出てしまいます。
日用品も同様です。トイレットペーパーなんかは自転車だと大変。
今は殆どのものが通販で入手できますが、10年前だとまだまだ足りない。
銀行も病院も遠すぎた。薬は全部市販品。
そのくらい、車がないと何にも出来ない状態でした。
「車ぐらい安いの買いなよ」と言われそうですが、安くても買えないくらい金が無かった。
奄美に住民登録を残してあったので、その辺でも無理でしたね。

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今思うと無味乾燥な暮らしぶりで、
実際真夜中、
テレビも観ずにインターネットとゲームばかりやっているようなロクでもない暮らしだったけど
若かったからかなあ、そこそこ楽しんでいたところもありました。

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あと、富士見は冬は駄目だけど、4月以降は花と緑にあふれて、見た目はよかったです。


窮屈なのは悪くない
でも
やっぱりきつかったなあ、という富士見の生活でした。
そしてその後、
諏訪・富士見ではないけれど
再び信州に戻ってくることになるとは、
当時は想像もしていませんでした。ご縁でしょうかね。
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by OuiOui1974 | 2016-03-05 20:55 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)
今年はこんなことをしました。こんなことがありました。

・犬山城の模型を作りました。
昨年の11月末から約4ヶ月(外構整備工事を入れると5ヶ月)かかって
できたのが、これでした。

2015年5月6日

今は(破壊されていなければ)岐阜県ドキ市の実家にあるはず。


・山梨の石和温泉、安曇野などに旅行しました。

2015年7月25日

石和温泉は、びっくりするほど何もない。本当にびっくりしたよ。


・大阪に出張しました。

2015年7月5日

スーパー玉出には入れませんでしたが、西成区を歩く機会ができました。
このときぐらい記録を残しておけばよかったな。いわゆる釜ヶ崎。オジサマだらけでした。


・ツマが入院しました。

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僕のことではありませんが、いろいろ勉強になりました。危機管理って大事。
ツマは退院後、無事にホラー映画を観まくっています。超絶クレイジー。


ツマ入院以外は、おおむね平凡無事な1年でした。
体重は、年初に比べればだいぶ減りましたが、それでも最近は戻りつつあります。
まあ、運動不足ですわね。毎日8000歩以上歩けるようにします。
あと靴も片づける癖はできました。



そしてこのブログは、とりあえず止めることはしません。
とはいえ、もう書くことも減ってきているので
1ヶ月に1回ぐらい、備忘録を書けたらいいかなあと思います。
その前に、ブログで書けるように
もっと生活にメリハリをつけないと老化が進みそうで怖い。
来年は、その辺を変えられるか、元旦までに考えてみます。


それでは、また2016年に。風邪ひくなよ!!(僕らは引いた)
くまぞお@OuiOui1974
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by OuiOui1974 | 2015-12-31 06:28 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(0)
2005年6月6日

ちょうど10年前(2005年)の9月の今頃は
仕事を辞めて家に閉じこもっていました。
奄美大島に来て2回目の失業。ずいぶん落ち込んだものです。

*

遡って2005年4月、学習塾の契約講師として採用されました。
前回の退職から半年経過し、その間沈みながらも
職業訓練を受けて社会復帰を目指して再び前を向き、
また仕事に就ける、それも一度やってみたかった塾講師になれる、ということで
春先はとても気分よく過ごしていました。

それからおよそ4ヶ月の間に、理想と現実の大きな隔たりを知り、
誰ともうまくゆかず、思い切りだけで仕事を選んでしまったことを悔やみました。

その時の職場が、奄美大島南部の瀬戸内町、
古仁屋(こにや)という場所にありました。
塾に生徒が来ない日曜日も出勤したことがあります。
奄美市名瀬からバスで50分、峠を越えながら。
日曜日は授業も無く、生徒も来ないので、淡々と事務作業をこなしていました。
生徒と向き合いながら授業をすることに憧れて就職したはずなのに
誰もいない教室で掲示物を作っているほうに居心地のよさを感じてしまっていて、
当初から続かないだろうと思っていたのが当たり、8月末で退職しました。

18時過ぎの名瀬行き最終バス出発までの時間、古仁屋の町を歩きました。
小説にでも出てきそうな、小さな港町。
仕事でなかったらのんびり楽しめただろうに、
いつも不安を背負いながら、ただただバスが来るのを待つための時間つぶししか
していませんでした。


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ほどなくバスに乗り込み、網野子峠をグルグルまわっているうち
てっぺんあたりで、大島海峡、そして向こう側の加計呂麻(カケロマ)島が見えました。
古仁屋の町も、夕日に照らされる大島海峡も、寂しかったです。

「失敗を乗り越えて職に就いたのに、またこけてしまった」ことが
今までに無い、辛い思いを味わいました。
・・・実際にはそのあともまた就職の失敗が続くのですが
ともあれ
古仁屋から離れ、峠から下ったあとは、随分と腑抜けてしまった9月を過ごしていました。



あれから10年、
今は少しはしたたかになったのでしょうか、
いくらか生活を楽しめるようになりました。不安が無いわけではないのですが。
今だったら、古仁屋の港町にも行ってみたいと思えます。
色々思い出して苦笑いしながら。
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by OuiOui1974 | 2015-09-06 06:28 | OuiOuiAward | Trackback | Comments(2)

常に出来心


by OuiOui1974