2009年 03月 14日
標準語コンプレックスと田舎者
そして現在、そのギフゥの山奥で棲息しているわけですが
当然、その土地で慣らされた言葉が自然に出ます。
例えば
”だから、できないとは言ってないじゃないか”
→「だもんで、できーへんなんていっとらへんやんか」
など。方言というレベルで括るものじゃない気もしますが。
僕は、自身「ちょっと卑屈すぎるだろ」と思うほど
方言が嫌いです。
それは、決して各々の郷土に根付く言葉を賤しめる意味合いはないのですが
特にテレビやラジオで流れる音声に、わざとらしいまでに方言が混じっていると
イラッとするのです。
というより、標準語が好きなのです。
ここで言う標準語はとりあえず「NHK的な話し方」を想定しているんですが
単に、東京を中心とした地方の言葉が一番落ち着くし、
できれば自分も訛りが無いフラットな話し方をしたい、と思い
現に日常会話でも変に注意を払うことがあります。
もっとも大抵は途中で、いつもの訛った喋り方に戻るわけですが・・・。
方言を忌み嫌い標準語に憧れるというのは
「地方に住んでるくせに東京ウォーカーとか読みたがる」
(同義語で「地方に住んでるくせにピチカートファイブばかり聴いてる」)
のと同じ
困った田舎者根性、だと思います。
隣の愛知県(名古屋市含む)に住んでた頃は、そういう意識は希薄で
やはり岐阜という「くだらない県の枢軸(あとは滋○と○重)」が、
そう思わせているんだ、と勝手に解釈。
鮒寿司と国際秘宝館の県に謝れ。
それでも多分、人に「それは絶対違う」と言われても
曲げる事ができない趣向なんだろうな、と思っています。
都会の暮らしに憧れるように。
もっとも、憧れに留めておくつもりです。
もう、理想によろめくのは懲り懲り。
しどろもどろな悪文で
方言などよりもお目汚しになったかもしれません。
あくまでも個人的な思い込みということで、ご容赦願います。